大正5年の小樽(その1)

2016年12月21日

 本誌9・10月号では、小樽が市制を施行した大正11年について述べた。市は今年70周年を迎えて、記念式典(8月1日)や資料展など多彩なイベントを展開し、改めて大正時代を振り返ることができた。

 本号は、市制施行から6年さかのぼった大正5年の小樽とその時代について記してみたい。

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 大正5年は函館大火のあった年である。小樽の人口は10万2106人、世帯数1万7796世帯であった。

 この年の3月竜宮神社が村社に昇格している。4月には3日間にわたり暴風があり、後志沿岸では漁船が転覆して多数の死傷者がでた。

 8月に入ると、区立小樽図書館が設立された。また同月には為替貯金局が事務取扱いを開始。10月には憲政会北海道支部の発会式が挙行されて、初代支部長に金子元三郎が選出された。

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 このうち、区立小樽図書館の設立については、明治45年に小樽教育会が設立要望書を区に提出したことから始まる。この要望に基づき、大正4年区議会において大礼奉祝事業の一つとして、区立小樽図書館の設立を議決した。

 そして、この年には図書館設立のため渡辺兵四郎より多額の寄付があった。そのほか寄付者の中ニハ榎本武憲、北垣国道の名も連ねている。

 大正5年8月、区立小樽図書館は区役所内に設立された。そして、翌6年から図書の貸出しを開始した。女優の岡田嘉子は青春時代を小樽で過し、よく図書館へ通ったと語っていたが、それはこの区役所内にあった図書館である。

 大正12年、現在の図書館の場所に本格的な建物を新築したが、当初は花園小学校横(現在のテニスコート)に建設するという案もあった。

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 同年8月、小樽為替貯金局は、小樽商工会議所において開局式を挙げたが、和服姿の女子職員が総揃いする姿は圧巻だったという。

 現在では女性の職場進出も多くなったが、大正から昭和にかけて小樽は、貯金局、電話局、バス会社、ゴム会社、豆選工場などで多数の女性が活躍した功績は大きい。

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 大正5年、伝統ある区内小学校連合運動会も第26回を迎えて、益々その盛大さを示していた。

 小樽高商(現商大)や、〇井呉服店はじめ区内経済界の職員運動会も盛んに行なわれ協調と連帯感を高めている。

 次頁の写真は、大正5年9月に開催された小樽組合銀行の運動会で、この年が第9回というから明治時代から続けられているものだ。会場は天神2丁目にある奥沢水源地の広場である。

img_2387Aには、その参加者の姿もみえるが、この時代としては水源地施設は立派であると同時にその景観も見事だ。

img_2388Bは遅足競争という種目で、全員お面をかぶったその表情が興味をひく。

img_2389Cは委員によるザル引競争であるが、カンカン帽とその服装も時代を表現している。

 区内から奥沢水源地までの距離は相当あり、参加者の往復それ自体遠足だと思うが、各銀行の意気込みの中に小樽経済の隆盛と大正時代の彩りがうかがわれる。

~小樽市史軟解 第2巻 岩坂桂二

月刊ラブおたる 平成3年11月~5年10月号連載より

cimg1521『おととし6月14日、奥沢水源地まで歩いていきましたが、遠すぎます。』