小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(二十八)

2021年12月18日

七 樺太の領有と造材屋の活躍

移出認可総石数 四.一八〇.〇〇〇石

(内訳) 組合役名 代表者名   石数 

三井物産 相談役  伊藤与三郎 四〇〇〇〇〇石

新宮商行 理事長  坂口茂次郎 二〇六〇〇〇

山中商会 副理事長 西村 甚助 一七六〇〇〇

増田合名 監事理事 増田 梅吉 三六九〇〇〇

奥村木材 理事   奥村 徳蔵 一五七〇〇〇

湯浅木材 理事   植松  健 三〇四〇〇〇

亀田浦吉 理事   亀田 浦吉 四三二〇〇〇

糸井商店      糸井 良七  二四〇〇〇

島崎商店      島崎今朝吉  五二〇〇〇

  計            二.一二〇.〇〇〇石

 移出総石数の四一八〇〇〇〇石の中から、日露木材(王子、富士製紙系)の一〇五三〇〇〇石と秋田木材の三六〇〇〇〇石等を控除すればその残りの二七六七〇〇〇石の大部分は小樽の業者の分である。

 当時、樺太材の本船積取期になると、敷香の幌内川上流の網場(アバ)(流送材の河中貯木場)に数十万本の丸太材が殺到し、その壮観は樺太の一大名物と言われ、これが亦現実に小樽造材屋の勢力を示すものでもあった。

 一方この様な大量の伐採に当て、日常茶飯事として盗伐が行われた。そしてその盗伐と山火事とは不即不離の関係にあった。即ち山火事に依て盗伐の犯跡を湮滅したといっても宜しかろう。十万石の特売を受けても、伐採の歩留りは六万五千石見当の筈なのが、切り出した材の石数が十万石以上になるのが普通で、随て樺太の造材は非常に儲かったのであった。盗伐奇談ともいうべき話柄が樺太には数多く残されている。

 その一つに、元小樽の鈴木合名の社員で後警察官に転向し、樺太庁の警務課長になった中岡という人がいた。地方の警察から「大規模な盗伐が行われて、今その材を本船に積入中」という情報が入ったので早速部下を連れて現地へ行くと、成る程沖合に相当巨きな汽船が繫って盛んに木材を積取っている。船のマークは中岡が居た鈴木合名の米印なので驚いて船長に会うとこれ亦旧知の人、話を聴くと船長は本社の言付で廻航し、本社の木材買入れまでに数社の手を経て盗伐材という事は知らなかった事が判ったので、本船を予定通り出帆させ、本当に荷主を抑えて改めて木代を樺太庁へ支払わせて円満に解決したという事があった。

 終戦後、樺太の喪失は小樽商人に対して多大の損害を与えたが、就中樺太材の伐採を生命とした造材関係者が蒙った傷は全く致命的であった事は、終戦後の小樽の造材屋の中でその頃の名を残しているものは、以前から道内に地盤を持っていた、山中商会、新宮商行、湯浅木材等、僅か数軒に過ぎない事からでも察知する事が出来よう。              ―完―

註 文中統計数字を省く

                 (小樽市史編纂執筆委員)

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~小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷

「新しい道史第38号」より抜粋

本間 勇児

より

 

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