小樽の活動写真と弁士(その2) 61

2019年04月26日

 日本映画がトーキーの完成を観たのは昭和6年、五所平ノ助監督、田中絹代主演の「マダムと女房」(松竹)である。

 それ以前にも、『水谷八重子の美しい肉声がそのまま聞けるフイルム式完全発声映画』とか、一部分にトーキー場面といれたミックス・トーキー。あるいは蓄音機と連結して音を出すサウンド・トーキーというものもあった。

 チャップリンは、トーキーに抵抗して無声映画を撮り続けたが、昭和11年の「モダンタイムス」はチャップリン最後の無声映画という解説と、一部にトーキーを入れたので、チャップリン最初のトーキー映画という解説もある。

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 現在は、映画の宣伝に新聞、テレビ、週刊誌、ポスターなどが使われているが、立看板や劇場前の看板も小さくなった。

 いろいろなPRの中で次頁のように絵ハガキが使われていたときもあった。この絵ハガキは大正末から昭和初期の不況の時代につくられたことに興味がある。

 これは東京浅草の帝国館が宣伝のために

A 小樽の錦座(松竹座)が映画の宣伝と招待券を兼ねて発送した絵ハガキ

B(小樽名勝)小樽花園町大通錦座前

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B・C・D 現在、花園3丁目にある小樽松竹ボーリング場の建物で、かつては住吉座、錦座、松竹座として賑わったころの写真で周囲も繁華街であった。(B・Cは錦座時代)

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~HISTORY PLAZA 61

小樽市史軟解 第三巻 岩坂桂二

月刊ラブおたる 平成5年11月~7年9月号連載より