新成人の生まれた20年前 33

2017年03月26日

 今年、小樽で成人式を迎える人は昭和47年4月1日までに生まれた人である。

 新成人の生まれた20年前はどんな年であったのか。今回はそれを昭和46年にしぼってそのころをふり返ってみたい。

 新成人の皆さんは、家族の人と一緒に自分史のスタートの当時を話し合ってほしい。

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 この年、国際的には東京都ワシントンで同時に沖縄返還協定に調印された。又国連では中国の参加が決定。ニクソン米国大統領がドル防衛を発表(ドルショック)。ソ連の「火星3号」が史上初の火星軟着陸に成功した年である。

 国内的には、株がドルショックで史上最大の暴落。成田空港建設地の第一次代執行を開始したが反対同盟が抵抗。

 NHKの総合テレビ番組がすべてカラーになった。また、角界では優勝回数32回の大横綱大鵬が引退した。

 道内においては、札幌国際冬季スポーツ大会(プレ五輪)開催。札幌の地下鉄南北線が開通。そして青函トンネル工事の起工式が行われた。統一地方選挙で堂垣内尚弘氏が知事に当選している。

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 この年の小樽は雪が少なく、4月には異常高温の日があったり、夏も天候は不順であった。そして秋には冷害の被害をうけている。

 市長選では3人が立候補し、稲垣祐氏が当選した。経済界をみると、就職戦線は不景気を思わせる陰りも見られたが、逆に、ショッピングセンターの経営が軌道に乗ったり、商店街開発計画の構想が活発に発表された年でもあった。

 市内の電話もこの年に約4000台が新設されて、加入数3万の大台に乗った。なぜか、この年喫茶店の開店もブームであった。既存の70店に新たに20店がオープンして盛況を極めた。〝愛とは後悔しないこと〟というテーマのアメリカ映画「ある愛の詩」はこの年小樽でも大ヒットした。映画の帰りに喫茶店で余韻に浸ったものだった。

 テレビでは中山律子のボーリング放映がブームを呼んで、市内や郊外にボーリング場ができた。

 社会問題としては、大気汚染などの公害問題(この年に環境庁が発足)や、ワクチンの種痘禍、こども公園の拡大化などが小樽でも取り沙汰された。

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 このほか、昭和46年には雑誌「アンアン」につづいて「ノンノ」が創刊され、その雑誌を片手に歩くアンノン族といわれる人たちが出現した。 北海道出身でボクシングの輪島公一が世界Jミドル級チャンピオンになり「カエル跳び」ということばも有名になった。

 今井通子が女性初のアルプス北壁を征服したり吉見愛子がオートバイで北・中米を縦走したりして、クスリのCМ「ガンバラナクチャ」を女性が示した年でもあった。

 男はこの年の流行語「古い奴だとお思いでしょうが」と、石油のCМ「気楽にいこうよ おれたちは」だったのか。

 ファッションの世界では、パンタロンとミニスカートが大流行した。私はヨーロッパ各国をこの年視察したが、どこを歩いてもそれが見られた。特に女子中・高生、大学生の超ミニ姿の決まっているのにおどろいた記憶がある。写真はヨーロッパの街角でみた若いママさんの姿を同行の友人が撮ったものであるが、長いものと短いものの配列と配色に感心したものである。

 歌謡界を見ると、小柳ルミ子が「私の城下町」でこの年デビューしている。今はなつかしいタイガースやヒデとロザンナ、奥村チヨ、辺見マリ、弘田三枝子、黛ジュンなどがステージを飾っていた時代であった。

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 アラレちゃんや、ガンダムのオモチャで育ったみなさんは、10歳になったころ「ぎんぎらぎんにさりげなく」や「セーラー服と機関銃」を歌ったことであろう。そして、今年、平成4年に晴れの成人式を迎えるのである。

 みなさんは、それぞれの思い出を大切に明日に向ってほしい。夢は胸の内から出てきて、外に広がっていくものではないだろうか。

 21世紀を担うみなさんを心から祝福したい。

昭和46年、ヨーロッパでみたミニスカートのママさん

あん時 生まれた赤ちゃんもこんなにきれいになって今年成人式を迎えた(市内の一女性)

~HISTORY PLAZA 33

小樽市史軟解 第2巻 岩坂桂二

月刊ラブおたる 平成3年11月~5年10月号連載より

今日は一隻だけ