女優・岡田嘉子と小樽(その1)

2017年03月09日

 平成4年2月10日、女優岡田嘉子はモスクワで89歳の生涯の幕を閉じた。

 今回は、時代に生きた岡田嘉子と小樽のかかわりについて記してみたい。その前段として岡田嘉子その人を紹介したい。

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 嘉子の人生観と女優の位置

 

 昭和47年11月、嘉子がソ連から34年ぶりに里帰りした折に、級友から昭和初期の雑誌を見せてもらった。その中に嘉子が当時書いた文章が掲載されていた。

 『最善の努力をつくして進んでいたらいつ、いかなる場に倒れようとも悔いは残りません……』。その時この文章を読み返した嘉子は「思えば私は、いつもこうやって生きているのです」と述べている。

 私も岡田嘉子が昭和50年に書いた色紙(次頁)を持っているが「悔いなき命をひとすじに」という言葉は、この人の生涯を通し一貫した人生観であったと思う。 里帰り中の昭和48年、嘉子は、「悔いなき命を」という自伝を公済社から発行しているが、その中でもそれが伺われる。

 この本は、内容、文章そして生き方に心をひきつけられるものがある。しかし、この時はどうしても書き得なかった真実もあったように思われるのである。

 岡田嘉子は一世をふうびした舞台・映画の大女優であった。大正14年発行の映画誌に、女優の人気投票があるが、嘉子は栗島すみ子、夏川静江、水谷八重子を抜いて第1位にランクされている。また、昭和初期の3大女優に、岡田嘉子、入江たか子、山田五十鈴を挙げている評論家もいる。

 嘉子の自伝書のはじめに、宇野重吉は『岡田さんは勇敢な人である。しかもよく耐える人だとつくづく思う。いつも笑顔をたやさないで、こまやかな心遣いをされる人である。』と嘉子のもつ一面を語っている。

 昭和12年12月27日、ソ連へ越境するため東京を出発した後に、嘉子のアパートから発見されたメモの中に次の歌があったが、これも嘉子のある時期の一面だと思う。

 

 こころひとつの 置場にこまりて

 恋しい恋しい 夕まぐれ よしこ

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 嘉子と5人の男

 

 岡田嘉子に関係する記事を見ると5人の男性がでてくる。付き合いの順からいうと服部義治、山田隆弥(横川唯治改め)、竹内良一、杉本良吉、滝口新太郎という舞台関係の人で、このうち嘉子と結婚したのは竹内良一と滝口新太郎である。

 そんなことから嘉子を〝恋多き女〟とか〝炎の女〟と表現する人がいるが、当時の時代背景とそこから生まれる焦燥や、舞台への情熱を推察するとき、興味本位に言えることではないと思う。

 なお、嘉子が命をかけた恋として挙げたのは杉本(奥さんがいた)であり、滝口との愛も感謝をこめて述べている。

 その杉本は、いままではシベリアの収容所で病死したと伝えられていたが、3年前の1989年(昭和64年)に、グラスノスチによって明らかにされたのは、日本人スパイとして銃殺されていたことである。

       (次号に続く)

1950年、モスクワで結婚した滝口新太郎と嘉子(1965年クリミヤ公園前)昭和47年には、この滝口の遺骨を抱いて里帰りした。

~小樽市史軟解 第2巻 岩坂桂二

平成3年11月~5年10月号連載より