戦時中のスタンプと小樽 40

2017年03月09日

 郵便局の記念スタンプは今でも多くの人に利用されているが、戦時中のスタンプはどんなものが使われていたのか。こんかいはそれを昭和17年に絞って展望してみたい。

 ここに紹介するものは小樽でつくられたスタンプであるが、同時にその絵ハガキの作品を通してその時代を推察していただきたい。

   ▷   ◁

 次頁のAは、シンガポール陥落記念スタンプで絵ハガキは江崎孝坪の第4回文展出品作(2月17日付)。

 Bは満州建国十周年記念スタンプで絵は横山大観の紀元二千六百年記念奉祝美術展(昭和15年)出品作(3月1日付)。

 Cは、軍人援護強化運動記念スタンプで、絵は白瀧幾之助の作品(10月3日付)。

 Dは、大東亜戦争一周年記念スタンプで、絵はマレー海峡を描いた村上松次郎の作品(12月8日付)。〈現在は太平洋戦争といわれているが、戦時中はこの戦争を大東亜戦争と呼んでいた。〉

 なお、絵ハガキA、B、C、Dに貼られた切手はその記念切手である。

A

B

C

D

 昭和17年当時、、市内の電柱には『戦果聞くたび貯金で感謝」とか「国の強さは貯金で示せ」という看板がつけられ、貯蓄奨励が記念スタンプと並行していた。

   ▷   ◁

 そして、この年は金属回収令が出されて、お寺の鐘や商店街のスズラン灯、公園の銅像はじめ、家庭の銅、鉄製品は献納されたのである。子供たちは道路の古クギを拾い集めるのも日課の一つであった。

 また、この年は衣料の購入もキップ制になった。特に衣料問屋の多い小樽業界は大変であった。都市住居者は年間100点を割当てられた。

 背広やオーバーが50点、レインコートが30点、ワイシャツやスカートが12点、ブラウス8点、タオル3点、クツ下やエプロンが2点というように、割当て点数内の切符で衣料を購入した。

 愛国婦人会と国防婦人会が統合されて大日本婦人会が結成されたり、大日本翼賛壮年団が結成されたのもこの年。

 全国の新聞は1県1紙に統合され、小樽新聞はじめ道内の日刊11社が統合して北海道新聞社となったのも昭和17年であった。

   ▷   ◁

 戦局は、1月に日本軍はマニラ占領、2月にはシンガポール。3月にはジャワ島やニューギニア島に上陸したが、6月のミッドウェー海戦、8月のソロモン海戦では、東條首相のキマリ文句「連戦連勝」とは事実が違っていた。

 12月、大本営はガダルカナル島の撤退を発表し、戦局は開戦2年目から守勢になった。

 そして、昭和20年8月15日、日本は敗れてこの戦争は終結となった。今年もまた、その8月が巡ってきた。

~HISTORY PLAZA 40

小樽市史軟解 第2巻 岩坂桂二

月刊ラブおたる 平成3年11月~5年10月号連載より