小樽倉庫の石造倉庫

2020年06月05日

まだまだ現役 むねに飾シャチ

往時をしのばせる石造の倉庫棟のシャチは、倉庫を城にたとえて飾ったという

 運河沿いに古めかしい石造の倉庫が立ち並んでいる。。ふ頭に立つ、いまの小樽港を象徴するサイロとは好対照。かつては、港に集まってくる貨物をぎりぎりまで飲み込んだであろう。いまは隠居の身といきたいところ。

 全盛時代の小樽港は、ふ頭が港に突きでた姿とは違っていた。小樽港は入船川じりから発展していったという。港湾土木が、いまのようにあらゆる土木技術を駆使して港を造っていった時代とは時代とは違い、自然の地形を利用して荷役をしていた。それでも、小樽港は本道の貨物中継基地だった。本道に出入する貨物のほとんどが小樽港を経由して流通していた。当時の本道経済が小樽を中心にして動いていたのもうなずける。

 石造の倉庫は、明治時代の建築物という。小樽駅から港に向かって下り、運河の手前で左に折れると、むねに鯱(シャチ)を飾った倉庫が目につく。小樽倉庫の倉であるが、いまどきこのような倉庫は全国でも珍しい。地上から一㍍ぐらいはレンガを積み、そのうえに札幌軟石を積み上げ、屋根はかわら、そしてむねに鯱が置かれている。

 鯱は古来伊勢の国の沖合いにすんでいたことになっている。頭はトラににて、背にトゲがある。背をそらしてはね上がっている姿が飾られているが、宮城や城に飾りとして用いられているのはよく見受けられること。では。、どうして倉庫に飾られたのか、さだかではないが、きっと、倉庫を城にたとえたのではなかろうか。

 往時の小樽の経済界で、海運業者が重きをなしていた。小樽というより本道経済の支配者ともいえるが、それだけに、いまでもりっぱに用をたす倉庫を造ったのはうなずけるというもの。

 建て物自体、冷たい感じがないではないが、どの倉にも小樽の歴史が刻まれているといえるであろう。単に絵の素材になるのではなく、小樽の今昔を思い浮かべながら接すると、なんともいえない親しみが知らず知らずにわいてくる。小樽のよさとはなんだろう。いろいろいわれているが、古きものが、残っているからともいわれる。というと、とかく論議をかもすが、過去、現在あっての小樽の将来である。

 確かに、働きの場も、ひところと違ってめっきり少なくなってきた。いま、貨物は港頭倉庫を中心に流れている。奥地に多い石造倉庫は、転換期に立たされている。流通機構からはずされようとしているのがいまの姿であろうが、でも港に貨物が集まってくる限り、隠居の身はまだまだおあずけである。

~小樽の建築 北海タイムス

昭和43年7月24日~8月11日連載より