で、何を書きたいのか

2018年12月05日

 初めて見た色内町の銀行街。目をこすったね、ひょっとしたら外国に紛れ込んだんじゃないかと。小樽一の建築と謳われた新築の北海製缶を見た時も肝をつぶした。さすが我小樽だ、札幌サン口惜しかろうと。もう六十年も昔だ。

 北原ミレイは住昔のニシン小屋をオンボロ、オンボロ、オロローと歌ったが、鉄のサビの塊のようになった製缶さんをどう歌ったらいいのか。

 銀行街も今や平々凡々無用の長物の如く、札幌の巨大ビル街化に対し蟷螂の斧しかるべきショボくれた中小企業の看板を不況の風にさらしている。

 一歩横町に入ると、そこには六十年前そのまま屋根がつぶれたガッサイ家並みが続く。ドブの匂いがするのは‶前世記憶〟であろう。札幌は半月街に出なければ、もう新しいビルが建っているというのに。

 で、何を書きたいのか。小樽斜陽の傷口に爪をたてようというのか。小樽を活性化する‶代案〟でもあるというのか。いやいや実は、相変らずの小樽が懐かしいからなのだ。色内町銀行街の夕暮れをトレパンでで走り抜けた記憶がある。外国で練習しているようなE気分だった。花園町では質屋がえりの浮世小路の赤提灯と(ココダケノハナシダガ)毛ジラミを移された記憶、港町では給料くれんから二ヵ月で辞めた新聞社のクラ―イ記憶、信香町では新調のバーバリーを風になびかせ、マンドリンをかかえて同級生石川の家へ行った記憶。バーバリーの染料が甘酸っぱかったその青春の匂い。あの町この街に置き忘れてきたレモンのような…。

 以上前書きのつもりだが、毛ジラミの部分は削除する。以下が本題で、各町のよってきたるところその一―。

 信香

 野原の上流を流れる川を指すアイヌ語ヌㇷ゚パラクヌンから名がきている。野深、延嘉ともいった。安政四年場所請負人の岡田が山道を開き、三戸の賃屋敷、呉服屋を一戸を誘致してこの町がはじまり、明治元年(一九〇八)には永住と出稼併せて八百人が住んだ。旧小樽の人口はのほとんどである。

 明治四年、開拓使小樽出張所が開設されてから行政、港湾機関の中心としてさらに発展するが、「勝納川口の船舶の往来激増するに及んで娼家・酒楼ますます増加し、六、七年頃がその全盛期」とは昔の本。 

 また信香の町つづきには芝居町、新地町、土場町があったが、今はその痕跡をさぐるべくもない。星川座という劇場など、どこのどの辺か。

 山ノ上町

 安政四年(一八九七)に、のちの戸長山田兵蔵が自腹切って四余坪を開墾した土地に明治二年頃までは旅宿三軒、商家五軒が建っていた。丘の上にあるとなりの住初町はアイヌ部落といってよかった。

 信香発展につれて人口が増え、ひと通りの商店が揃い、旧小樽一流の町となる。

 入舟町から登る道は、三本木の坂といい、雪の時は登れぬほどのすごい急坂での、明治十五年頃、二メートルを削り、十八年の大火の後もさらに二メートルを切り下げた。ところが両側の家が道路から石段でもつけねば入れなくなり、役所と住民がもめた。

 小樽はこうして凹凸が是正され、海の中に港町が生まれ、立岩はじめ海岸の奇岩ゴロゴロも爆破で消えてしまうが、手宮と札幌をむすぶ幌内鉄道開通によって、手宮・銭函間に乗合馬車が開通したことを知る歴史好きが少なくなった。

 このとき、ニシン屋岬とよばれていた有幌の東の鼻(つき出した岩石)も崩されて道路がひらかれ、やっと信香と有幌が町続きになるのだが、有幌はニシン場であったし、私がガキの頃は、ちょっとした海水浴場でもあった。

 寿原財閥を生んだ始祖・寿原弥平次は金曇町の大火を富山県福岡で耳にし、大火の後はセトモノが売れると小樽に出稼ぎ、茶碗やドンブリを道路に並べて売ったのがこの有幌だった。大火後、信香と入舟の交通がにぎやかになった為、幸先のいい商いで目処をつけたのだが、寿原が大きくなって小樽に邸をかまえ、郷土から外吉を養子にしたのは大正になってからの話で、弥平次も養子なら外吉も養子、外吉の後継ぎの豊も養子だ。

 一門の寿原猪之吉(弥平次の義弟)も養子だがその子英太郎(戦後小樽市長一号)は本当の子としても、後継ぎ九郎が養子。そこまではよかったが九郎の子達は本ダネ。これで倒産とはいいませんが、この一門やはり養子がいいみたい。で、養子の一人の外吉は入舟町の店での仕事が終ると、冬は毎晩有幌の急坂で、がむしゃらにスキーの練習をしたという。有幌坂にスハラ商事創業の怨念ありか。

安政四年の小樽 西蝦夷地海岸見取絵図より、この図は寛政四年宗谷に御救交易に来た幕吏最上徳内一行の手になつたものと思はれ、クマウスの背後は野火の炎が点に沖している。オコバチ川の大きいこと。

明治5年頃の小樽港町

明治28年頃の寿原四兄弟。左から猪之吉、重太郎、弥平次、要太郎(正一の父)

~見直せわが郷土史シリーズ⑨

小樽市史軟解

奥田二郎

より~

2018.12.5

 

入船十字街

現在の入船川

殆んどが暗渠となっています

入舟町から

信香町への道

海陽亭があった辺りが山ノ上町

坂のてっぺん

下り(クラーク博士が札幌へ向かったという道)

星川座があった辺り

勝納川口付近

~2018.12.5~