排他的だが進歩性~㉙

2020年06月09日

 ヤブヘビ調査

 戦後まもなく、田中道政の頃、綱紀粛正の問題が野党からとび出した。

 「近頃、宴会が多すぎるのではないか。」というわけで、一番接待費が出る道東事務所に議会の特別調査団一行が現れる。 

 「一体、貴重な道費をどんなふうに使っているのか」と書類をもってこらせる。

 「なんだ。この宴会は?」「ハハーッ」

 役人がかしこまって一応のことを申しあげ、「なにぶんよろしくご高配のほどを」と平身低頭するのだが、議員どもふんぞりかえって威張るばかり。

 とうとう役人も肚をくくって「え…この際、甚だ申しにくいのですが」と一覧表を出して説明する。諸センセイ上京以来つかったハイタクのつけがズラリ書いてある。トーゼン道庁払いになる。

 「何々先生がお三人で箱根へ行かれた分がこれで、何々先生がご家族を連れて東京をみて歩かれたのがこの分でして」

 道調査団の顔色がみるみる変わっていく。「それから何々先生がご婦人同伴で熱海にまいられた分が…」ここで「まて」と声がかかる。「もうええ、分った」

 調査団が、自分たちの道費ムダづかいをこれ以上明らかにされては、何の調査か分らなくなる。調査という名の東京見物なのだ。議員センセイに当選したおかげで、タダで東京見物はできるし、毎夜のように芸者のいるところで飲め、ときには海外旅行とくる。ニューヨークへ行ったはいいが仲間とはぐれ、泊っているホテルの名も言えずに御巡を探し、ホテルのマッチ箱を見せてやっと一同の飛行に間に合った登別のセンセイが北海道に帰ってくるや、「世界を一周をして」という本を出したり、上野の西郷さんの銅像の下でパンちゃんと一戦を交えて膝の皮膚をすりむいた農村議員、旅館の隣部屋でイトナミが始まったので、ラン間から覗こうとして足台にした火鉢を引っくりかえし灰神楽の大さわぎを演じたりするセンセイ方だから、お役人だって「調査するって。じゃ、みなバラすか」とひらきなおるわけだ。

 酒色は関係ナシ

 ところが、ここで食糧費問題というのが出てくる。食糧費とは宴会のことだ。

 その宴会には出ていないのに出たように決算書類に書いてある。これで田中知事を追いつめてクビにしようと、野党が調査特別委員会をつくったまではいいが、みんなスネに傷もつ身の‶リクルート〟級。そこでオンナなら酒色に関係なかろうと白羽の矢が婦人議員にとぶ。

 役人の方は予算上の操作で帳尻を合しているだけで、だれがつっこんで来ようと開きなおれるが、婦人議員が表にたつと対応の戦法をかえねばならない。

 結局アレだコレだで時間計かかってウヤムヤに終ったが、ここでにわかに婦人議員の存在が大きくなった。 

 戦後マッカーサーのおかげで婦人参政権がころがりこんだが、昭和二十二年四月の道議選では、まだ九十八人の道議中オンナは居らん。

 ところが次の二十六年の改選で、井口えみ(社)が出て来、三十年では、山元ミヨ(自)が出て来た。二人とも小樽である。井口は労組あがり、山元は先生あがりである。つまりどちらも先生で、先生の選挙と葬式は強い。

 三十四年に札幌から水島ヒサ(社)、武村マヤ(自)が当選して、やっとオンナは四人となるが、水島は元国防婦人会の戦後左まわりで、武村は産婆会のボス。

 それはいいが、なぜ人口の少ない小樽から定員の半分を占める山元や井口が早くから出てきて長く議員をやったのかとなれば、「天の時、地の利」てなことでゴマ化すより手がない。彼女らが二期三期(一期四年)をやっているうちに小樽の男ワラシが沈んでいく。鈴木源重(社)高橋源次郎(民)、田中ガン(自)、三室光雄(自)、島本虎三(社)、砂原清治(社)、このへんから西村慎一、本間喜代人が顔を出す。

 西村は刺網の船員をやっていた若い頃後志の海中に沈んで、一度死んだのを奇蹟的に助けられた忍路村の男。

 さて、道会が始まった頃の明治三十四年からいえば、高野源之助、渡辺兵四郎の〇〇が先で、続いて小町谷純、徳光大二郎、中谷宇吉、山田辰之進、篠田治七、秋山常吉、森正則、寿原重太郎、板谷吉次郎、井尻静蔵、夏堀悌二郎、横山準治、岩谷清衛、林貞四郎、丸山正義で戦後に入り、今は(カッコ内は生れ年と所属)戦後んとこでは先生あがりの菊池芳郎(昭七、社民連合)同じく先生畑の本間喜代人(大十三、共)、市議出の久保恭弘(昭十、自)、古顔の西村慎一(昭六、無)とこの世界のヤングになってしまった。

 小樽は京都が勤王志士をかばい、新選組を嫌いぬき、戦後も革新支持であるように、保守にして排他的だが、進歩的なものを持っている山坂の街だ。京都と違うのは海があるから四通八達といった自由さがある。

~HISTORY PLAZA㉙

小樽市史軟解

奥田二郎

(月刊ラブおたる39号~68号連載)より

~2018.12.24~