古い写真に見る小樽の活動常設館 79

2019年01月30日

 今年(平成7年)は映画誕生100年の年である。

 『これは1895年(明治28年)フランスのリュミエール兄弟が、パリの科学振興協会で彼らが発明したシネマトグラフ(撮影機、プリント焼付機、映写機を兼用)により製作した「工場の出口」を披露。リュミエール兄弟は科学者たちからの好評に自信をもち、同年12月28日パリのサロン・インディアンで別名映画を一般に公開した。

 これがたちまち評判となり18週のロングランを記録。入場待ちの列がマドレーヌ広場まで続いたという。この日をもって映画の誕生日とすることが世界の定説になっている。

 この年、アメリカではエジソンのキネトスコープを改良したファンタスコープをアーマットとジェンキンスが共同発明し「グリフォーバーネットのレスリング試合」の映画をブロードウェイで公開上映している。

 1898年(明治22年)エジソンの発明したキネトスコープも、リュミエールのシネマトグラフも、そのプリントはセルロイド・ベースの35ミリロールフィルムを使用している。

 このフイルムのサイズが国際規格となり、今日世界中どこの国でもこの規格を採用している』

(以上、谷川義雄編映画100年史を参照)

 明治28年に発明された映画(フランスのシネマトグラフ、アメリカのファンタスコープ)は、世界の先進国で競って公開上映されたが、本道での公開は明治30年末に函館、小樽、札幌で公開されて注目を浴びた。

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 映画は、昭和初期まで活動大写真と呼ばれていた。映画館も例えば、活動常設〇〇館(座)という名称で親しまれていた。

 本号は、小樽におけるこの活動時常設館の古い写真から往時を懐古してみたい。

A妙見河畔にあった活動常設神田館

 写真Aは、妙見河畔にあった神田館である。現在の寿司屋通り「日本橋」の所にあった活動常設館であり、建物のフォルムも美しい。手前は妙見川である。

C  都通りにあった活動常設電気館の昼と夜     B

 写真B・Cは、都通りにあった電気館の昼と夜の写真である。夜の写真は、電気館という名称にふさわしく、夜空に映えるイルミネーションが圧巻である。

D花園町にあった活動常設錦座の賑わい(現在の松竹ボウル)

 写真Dは、花園町にあった旧松竹座の前身の錦座(現在の松竹ボウル)である。その以前この建物は末広座といい小樽で初めて映画が上映された所である。

 写真A・B・Dには、常設館の前を歩く人の姿も写されているが、その和服姿に時勢を読みとることができる。天びんをかついでいる物売りの女性の声も聞こえてくる思いがする。

 北海道の活動写真は、函館と小樽がその中心であった。これらの活動常設館は、それ以前は芝居小屋であったが、このころより小樽では、芝居や活動写真が隆盛を極めていたのである。

(A・B・C・Dは共に大正~昭和初期)

D~現在

小樽市史軟解 第4巻

岩坂桂二

月刊ラブおたるより

HISUTORY PURAZA 79