物凄いサイダー合戰 面白い清涼飲料盛衰記

2019年06月02日

現在の壽原食品と第一銀行の間にあつた土谷食糧品罐詰商店はその後向い側の河田商店の隣りに移つたが主人公の土谷忠吉さんは真岡海馬島などで蟹、鮭、鱒の罐詰製品を経営し特に蟹罐は輸出品として声價を博していたがこの店の経営方針は常に直接消費者の購買心を刺激して小賣店の賈行を計りこれによつて卸、問屋の捌きを盛んにし、ひいて製造業者の良心を打つという方針をとつていた、

この碑とは初め函館で罐詰店を開いていたが日露戦役に召集されて旅順攻撃に参加、九死に一生を得てカク然と大俉

商戦揚裡に生死の消息を活用しようとして再び小樽で旗揚げしたのが明治三十九年、生命を投げ出して経営に当る勢は物凄いものがあつた、 罐詰食糧のほかに銘酒出長桜、軍艦サイダーを投入して盛んに買捌いたものである、特に軍艦サイダーは当時の清涼飲料品として北海道市場を席捲したものである、ここで小樽のラムネサイダーの盛衰記を書くのは少し変であるが當時の小樽の清涼飲料史を簡単に記して置こう、明治四十年に本道飲料業者の法人として最初のものとされている小樽ラムネ株式会社が稻穗町に資本金四万円で設立されその後緑町に移つて天塩、北見、樺太方面にへ販路を拡めた製品は‶太平洋〟‶光線〟‶オタル〟‶ヒヤ〟‶パリラ〟などというマークのもので一ヵ年ラムネ三十万本、サイダー四十万本を製造していたが、大正十年ころ営業不振で解散した、明治四十二年には、この小樽ラムネ会社の技師中川七造さんが独立して緑町に工場を設け玉水会と名づけて‶玉水〟‶ホップ〟印のサイダーを主として賈出し、着色ものでは‶玉水グレープ〟‶喜蝶レモラ〟‶ナイス〟などを発賈したほか野中熊次郎さんの‶金星サイダー〟笠井蔵吉さんの‶丸一ラムネ〟等有名であつたが三ッ輪土屋商店の軍艦サイダーを破つたものは野村兵助、俊三兄弟の造つた水雷サイダーであつた、野村兵助さんは現在の北海屋シトロン育ての親、弟の俊三さんはいま公園通りで変つた薬屋さんとして有名な野村薬店、この兄弟が花園町大通りいまの石橋診療所の一画でサイダー製造を開始し屋号を北海屋マークは菱Hを用いて横浜から移入される軍艦サイダーを駆逐しようと印も‶水雷艇サイダー〟と命名、これに挑戰した、道産品で内地製品をおさえようとする兄弟の氣はくである

この他に札幌三國屋専用マークの風船印、今井専用の‶トライペット〟一の秋野商店専用の‶日英印〟など販賣店別によるマーク新戰術を用い、潜航艇、機械水雷印などの ものすごい名のものは専ら攻撃用で値段も格安に勉強したという、角て三ッ輪土谷の土屋商店の軍艦サイダーは野村兄弟の北海屋水雷印に打ち敗られて

見事敗退した

 

(86)色内町の巻(その13)

北海タイムス社編