中村伸郎と昭和の劇作家たち~その1

2020年07月29日

「築地座」のころ

(1)創生期の「新劇」

 明治四十一年(一九〇八)九月十四日、中村伸郎は、小寺芳次郎・小寺ただの七何として、小樽市に生まれる。父は当時、北海道銀行の経営にあたっていた。また、母は大垣出身の士族の娘であった。兄弟姉妹は全部で十人。内七人が男子で、伸郎は末子である。長子は早くに亡くなった。二男の謙吉は洋画家で、四男の融吉は民俗芸能の研究者、先にも述べたように坪内逍遥の弟子でもあった。そしてこの二人の兄の影響で、伸郎も芸術、特に洋画に興味を持つようになったという。当時の小樽は北洋漁業の主要な港として、また金融の北の拠点として勢いのある都市であった。伸郎はこの街に七歳まで住み、その後東京に移った。その為、小樽での思い出はそう多くないという。

 大正四年(一九一五)の東京は、第一次世界大戦の軍需景気に沸いていた。経済成長を背景に、大正デモクラシー運動が広がっていった時期でもある。上京した幼い伸郎少年は長姉の嫁ぎ先である実業家の中村家へ養子に入り、代々木に住んだ。開成中学に進んだ彼は絵の道に進みたいという夢を持っていた。その彼の為に養父が東中野にアトリエを建てたというほどだから、暮らし向きは当時の平均的な市民よりもはるかに豊かであったとおもわれる。又、中村家は豊かなだけではなく、芸術家志望の若者たちが集まるような、インテリで自由な雰囲気も持ちあわせていたようだ。対象リベラリズムから昭和初期のモダニズムへ移行する時期に、経済力をつけつつあった東京の中産階級の生活感覚がそこからはうかがわれる。

 このころ伸郎はひたすら洋画を描いていた。昭和二年(一九二七)に開成中学を卒業して、川端画学校に入学し、藤島武二に師事する。めきめきと頭角をあらわした彼は、画学校入学の翌年には若干十九歳で当時の美術界の最高峰、帝展への入選をはたすのである。

……

 画壇に高く評価されるほどの才能を持ちながら、しかしその道に進むことを断念してしまったのには、もう一つ、きっかけがあった。帝展入選後にパリ留学の夢を抱いていたのだが、それが果たされなかったのだ。

……

こうして二十歳にして画家中村伸郎は姿を消し、かわって、周囲の誰もが想像だにしなかった、俳優中村伸郎がこの世に登場する。

中村 二度目の帝展には落選して、夕方アトリエに居ると粛々として寂しくて……そんな時に読んだんです。新聞の夕刊をね。そしたら、しょっちゅうみていた「築地小劇場」が分裂してね、「築地座」が出来るっていう、友田恭助、田村秋子夫妻が中心でね。で、第一回研究生募集というのが夕刊に出てた。これだと思ったんです。

 だけれども、……。

中村 僕が中学生のころに築地小劇場が開場したもんだから、行って一目見て感動しましたね。一回目は見ていないんですが、第二回公演からはほとんど見ていますね。やっぱり一番感動したのはチェーホフでしたね。これは小山内さんがモスクワ芸術座の細かくメモしてきて演出したから、素晴らしいと思いましたね。それまでの雑な日本の芝居に比べて。

●ーどういうところがそれまでと違うと感じられたんですか?

中村 それはまず、役者が傀儡なんですね。演出万能。役者はピアノのキーみたいなもので、おまえさんはドレミのドの役割だ。おまえさんはミの役割だというふうに、一つの芝居の中で演出が決めて統率してましたてね。ビシッと決まっている。芝居していない役者もセリフしゃべっている役者の反応を、上手と下手と随分離れていても、その反応をきっちり見せるというような、糸で引っ張ったような演出でしたね。

中村伸郎が出演した小津映画を挙げてみよう。

 『東京物語』  昭和二十八年(一九五三)

小津安二郎『東京物語』(一九五三)。左は杉村春子

 『早春』   昭和三十一年(一九五六)

 『東京暮色』 昭和三十二年(一九五七)

 『彼岸花』  昭和三十三年(一九五八)

 『秋日和』  昭和三十五年(一九六〇)

 『秋刀魚の味』昭和三十七年(一九六二)

 

小津安二郎『秋刀魚の味』(一九六二)。右から笠智衆、中村、東野英治郎

 

中村 小樽という町は、新開地というか威勢は悪くなかった。港としても今より盛んだったんじゃないですかね。

親父は北海道銀行の銀行員でしたけれど、何か漢詩をつくったりね。それから字がうまかったですね。記憶しているのは、親父は銀行から帰って来て晩になると、一生懸命墨をすっているんですよ。大きな丸い硯で一生懸命すって、何か大きな字、書いてましたよ。  

 そのような家庭環境にあって、末子たる伸郎は、長男のように家を背負う役目も持たず、すこぶる自由に将来を撰べる立場にあった。その彼は、七歳にして、長姉が嫁いだ先の中村家に養子に入っている。子だくさんの家庭の多いこの時代には、伸郎のように姉の嫁ぎ先に養子として入ることは珍しくなかった。

~俳優の領分ー中村伸郎と昭和の劇作家たち

2006年12月19日ー第一刷発行

著者  如月小春

発行所 新宿書房

より