時代にみる広告と小樽 59

2019年08月22日

 大正時代、扇風機を自動電気扇、ミシンは裁縫機械という名で売られていた。

 大正中期の商品記録を見ると

 「最近では、口つきの革製婦人用の手提げが流行している」という記述があるが、ハンドバックという商品名の記載は無い。(昭和になってからハンドバックと言われるようになった。)

 マッチは燐寸、そのラベルは燐票と漢字で書かれていた。次の商品も漢字を使っていたが、現在の当用漢字にない難しい字体なのでここではひらかなを用いる。

 よく古い街並みの写真を見ると、荒物屋という店が目につく。荒物屋には、ほうき、たらい、おけ、みそこし、ざる、はし、すりばち、わらじ、マッチ、あんか、こめびつ等々の商品が扱われていた。

 また、この時代に新しく登場したものに、服薬の際に用いるオブラートがあるが、宣伝用印刷物には内務省衛生試験所説明などとも記されている。

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 いま、私の手元に大正5年7月、小樽住吉座(後の松竹座)で公演された中村歌右衛門、市川八百蔵一行による歌舞伎のプログラム(19×13㌢)がある。

 興味深いのは1頁ごとに解説と歌舞伎の墨絵が描かれていることである。更に、1頁にわたる区内業者の広告が全体の半分を占めていることである。

 歌舞伎のものだけあって、今井、亀尾、巴屋、末廣屋などの呉服店の広告が一番多い。次いで料理、和洋小物、時計、蓄音機、ビアホール、理髪店、病院と続いている。

 この時期の小樽は、第一次世界大戦前後を通して好景気を迎え、経済は好況を呈していた。もし皆さんの手元にスキー大会その他、催し物のプログラムや、古い新聞、雑誌が残っていたら、その広告商社のスペースを見ていただきたい。その大きさでその時代の業界のすう勢を知ることができる。

 そして、当時のイラストやネーミングの斬新な感覚に驚きを感じることも多いと共に、背景の世相を知ることができる。ただ、広告に出てくる風俗となると、現在でもそうであるが、美しく見せて、受け手にあこがれを抱かせようとするため、現実ばなれのものがあることを念頭において、広告の中から時代を読み取るのもおもしろい。

 イメージを売る大正時代の広告には実にいいものがある。

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 広告のイラストだけでなく、その文章表現も時代によって異なっている。

 次の文は、大正7年に小樽区が発刊した「小樽案内」という小冊子のものである。全部が句読点のない文章であるが、その中から小樽公園の観光案内文を紹介したい。

 『花園町西方に在る丘陵にして面積約九萬坪四圓頗る廣濶にして松櫻梅其他諸種の樹木繁茂し且つ頂上に展望自在にして全市街は勿論小樽湾の煙波を双眸に収むると共に遠く海を隔てて雲姻模糊の間石狩天塩の連山を望むの雄大なる風景は人をして恍惚たらしむ又廣大なる運動場ありて一時に克く数萬人を容るに足る……』

 現在のカタカナ外来語の多いPR文と比較すると、時代の移り変わりを感じる。そして当時、荒物屋や、和洋小物店で売られた物は、いま、民具として開拓記念館等に展示される時代となった。

 これらのモノを統して大正時代を懐古すると、大正文化というものに改めて心がひかれる。

大正5年、歌舞伎小樽公演プログラム(32頁)の裏表紙を飾った2色印刷の広告

 文字は右から左へと読む

大正時代の情緒ある洗剤の紙袋で緑、赤、黒3色印刷

大正5年ごろ、緑町から見た小樽公園

~HISTORY PLAZA 59

小樽市史軟解 第3巻 岩坂桂二

月刊ラブおたる 平成5年11月~7年9月号連載より