スキーと正ちゃん帽 70

2019年09月21日

 いまはあまり見かけなくなったものの一つに正ちゃん帽がある(次頁Dに描かれている帽子)。

この帽子は毛糸製で、帽子の先に毛糸の玉をかざったもの。大正末期から昭和20年代まで多くの人がかぶったものである。

 正ちゃんは、大正13年東京朝日新聞に連載された子ども向きの絵物語で、正ちゃんという少年がリスを連れて、アラビアンナイトのような世界で大活躍するストーリーである。これが当時大活躍するストーリーである。これが当時大ヒットし以後カラーの大型絵本として何集かにわたって売り出された。

 正ちゃんとは、大正の正から生まれたもので、正ちゃんのかぶっていた帽子は時代が変わっても長年国民に国民に親しまれた。作者は樺島勝一である。

 この正ちゃん帽に加えて戦時中は次頁写真Aのように、飛行帽のようなものもみんながかぶっていた。共に防寒用としても最適であったと思われる。

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 小樽の地形は、山がいくつもあり坂が多くスキーのスロープには事欠かない。白銀の雪に輝く山岳こそスキーヤーにとって憧れの的である。「スキーの小樽」ということばは大正時代から全国に響き割ってたっていたものである。

 ドイツで開催された第4回冬季オリンピックでは、派遣選手10名のうち6名が小樽のスキー場で育った人である。全日本選手権、国体などで小樽っ子は大活躍し、輝かしい記録を残している。選手に限らず、小樽区民や市民は長い冬をスキーで楽しんだものである。

 次頁写真Bの様に始めはストックが1本であった。Cの写真は、休み時間か放課後に裏山でスキーやソリを楽しんでいる小樽の女学生で、服装も授業時と同じものであり面白い。A・Bも小樽の児童・学生である。

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 昭和55年、第35回国体冬季スキー大会開催の折、競技会小樽実行委員会が発刊した「スキーのふるさと おたる」は貴重なスキーの資料を掲載している。

 これによると、小樽へ正式にスキーが入ったのは明治45年(1912年)というから、今から83年前である。始めは小樽高商(現商大)が普及に大きく貢献している。大正2年には小樽スキークラブが創設された。また、同年には小樽高商、小樽中学(現潮陵高)、小樽商業、水産学校(現水産高)。大正6年には北海商業(現北照高)のスキー部が誕生している。

 学校ばかりでなく、主な会社や銀行にも多くのスキーを備えて、小樽経済人の進取の気性をスキーと結びつけていることも記してあり興味をひく。

 平成元年、小樽の水口忠さんが執筆した「おたる歴史ものがたり」にも小樽のスキーの歴史が記されている。天狗山、毛無山などの山岳のほかに、小樽公園の櫻ヶ丘、聖ヶ丘、住吉神社裏の桐ヶ丘なども、区民や市民が長年にわたってスキーを楽しんだところである。

 カッコつけて、観光レジャー的なスキー場へ行くことだけがスキーではない。

C 

B

A

D

~HISTORY PLAZA 70

小樽市史軟解 第3巻 岩坂桂二

月刊ラブおたる 平成5年11月~7年9月号連載より