大正・昭和初期における小樽有情の息吹(その1) 94

2019年12月04日

 その質の良さで全道一と称された小樽の花柳界は、大正時代には600人の芸者がいたという。

 小樽に最初の見番ができたのは、1877年(明治10年)ころで、金曇町に浮田見番、信香町に曲光見番、新地町に麻里見番があったが、完全に芸妓の世界が確立されたのは、1894年(明治27年)故八木周蔵氏が妙見町に色内見番を設けたことが始まりといわれている。

 妙見町には、中島屋はじめ数多くの立派な料亭があり、花街として隆盛をきわめたのである。

 一方、稲穂町にもその範囲が広まり、1898年(明治31年)には、ここにも見番ができている。次いで花園町の発展に伴ない、花柳界は1907年(明治40年)ころから、花園町、妙見町、稲穂町がその中心となっていった。

 小樽の見番の経過をみると、浮田見番(以下見番を省く)曲光、麻里、川上、梅木、住ノ江、曙、末廣、妙見、稲穂、花園、待合、小樽、大和、小町、北斗、中央、共立、昭和などがあった。

 歴史のある函館でも、10餘なのに小樽では、34の見番が興亡してきたのである。

 昭和初期には昭和見番本店には糸八はじめ91名、北斗見番には79名、中央見番には71名の芸者さんがいた。それに応えるように、料亭も114軒あり繁盛していた。

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 小樽は、昔から清元、長唄、常盤津、歌澤、鳴物、舞踊などに優れた指導者がいて伝統を築いていた。清元は延寿派、長唄は杵家派、歌澤は寅派であった。

 写真Aのふく子とBの五郎は昭和見番本店に属していたが、ふく子は18才、五郎19才の時の写真である。二人は開陽亭を中心に踊りの名手として目されていた。

A ふく子

B 五郎

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 小樽の芸者さんは、今でも芸は達者で着こなしも決っている。お客に対する気配りも一流で、これらの人々は小樽における一つの時代相を築いてきたとおもうのである。

(次号へ続く)

C 小吉(昭和見番)

D 秋子(小樽連)

E 元子(小樽連)

F 豆八(昭和見番)

G 花千代(中央見番)

小樽市史軟解 4 岩坂桂二

月刊ラブおたる

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