日本史で忘れてはいけない地名

2014年08月28日

手宮

「明治維新後、欧米の列強各国に、早く追いつこうとしていた明治政府。鉄道と港は経済の成長のために最も重要な施設だったのです。政府は1880年(明治13年)北海道の炭鉱から石炭を運ぶために手宮~札幌間に鉄道を敷設しました。その2年後、幌内炭鉱まで延長されます。石炭を運び出すために明治42年には巨大な高架桟橋が作られました。手宮に。

日本の発展にとって手宮は、まさしく重要な地点であったのです。」

 日本で最初に蒸気機関車が通ったところは?

新橋~横浜間。

 日本で2番目に鉄道が敷かれたところは?悩みますよね。

大阪~神戸間です。

 日本で3番目に鉄道が通ったところは?そう、

手宮~札幌間です。

 

この6つの名前であることに気づきません?

横浜 大阪 神戸 札幌 は、市の名前。

それに対して 新橋(しんばし) 手宮(てみや)は、地名。

新橋手宮は日本鉄道史の中で忘れてはいけない地名なのです。

と、私は、勝手に決めています。

小樽の手宮

北海道の手宮

日本の手宮 なのです。

 

皆さん、もし、新橋という地名がマスコミ等に出てきたら

(よく『新橋のサラリーマンに』とかいうでしょう。)

すぐに手宮を思い出してください。

新橋=手宮なのです。

 

temiyawotazunetemitekudasai.

 

 追伸

 昨日の田中商店。同年代に造られた旧金子元三郎商店、旧梅屋商店と造りが違う様(写真を見ると、うだつがあったのですが、、、。)なので、再度調べてみました。所在地が分かりました。旧作左部土蔵の近くでした。「そうだよな。どちらも、明治の初めごろ作られたんだから。小樽が拓けた地域だよな。」と行ってみました。残念ながら更地になっていました。

実態調査は1992年。22年の月日か・・・。