近江八幡

2021年04月06日

近江商人発祥の地

『どうしても知りたかったことがありました』

旧西川家住宅

ままごと道具

三階蔵

西川家はオショロ・タカシマ場所

岡田家はオタルナイ場所 の場所請負人でした。

『すぐ近くにそれぞれの邸宅があったんですね。』

北前船で

案内の方に、尋ねてみました

『近江商人?

八幡商人?

小樽では江州商人と使われるんですが、こちらではどうですか?』

「八幡商人や近江商人は使いますけど、江州商人は使いませんねえ。」

 

史料を見ていると、なんとなくわかってきました。

 

江州蒲生郡八幡町

江州八幡町

『おそらく ここから きた言葉ではないでしょうか?

江州商人 近江商人 八幡商人 どれも正しいのでしょう。』

 

もう一つ 驚いたことがあります

まちを発展させた人物は

 

豊臣 秀次(1568~1595)

豊臣秀吉の姉・ともの子で、子どものない豊臣秀吉の養子となりました。

1585年、18歳にして近江43万石の領主に任ぜられた秀次は、信長亡き後の安土城下の民を近江八幡に移し城下町を開きました。自由商業都市としての発展を目指し楽市楽座を施行、城の防禦である八幡掘を琵琶湖とつなぎ、往来する船を城下に寄港させ、わずか5年で商いのまちとしての繁栄の基盤を築きました。関白職を継ぎましたが、後に秀頼が生まれ、後継者を巡る争いにより自害させられました。

(高野山でその部屋を見せて戴いた時は、何とも言えない悲しい気分になりましたが、近江八幡繁栄の基盤を作っていたんですね。)

 

今回の旅行の土産は

右から

真中

の ジャーキー

です。

 

『敦賀で食べた鯖のへしこの刺身。お酒と共にまったりとした時間を過ごすことが出来ました。

地元のモノ・旬のものを食べる楽しさを実感させてくれた旅でした。』

 

追伸

『大津にも寄りたかったのですが…。!』