どなたか知りませんか?

2021年10月02日

より

銀行街

◢小樽の歴史を簡単に言えば?

 小樽では「北前船」と「炭鉄港」が日本遺産認定されていますが、「北前船」は幕末から明治初期、小樽がまだ鰊のとれる村だった時代に、航路を開拓すると同時に、肥料や海産物資源を以て、一躍小樽を有名にしてくれました。また「炭鉄港」の「港」は、明治32(1899)年には開港場(貿易港)に認定され、明治41(1908)年には北防波堤が竣工し、出船入船で殷賑を極める港となりました。これらを礎に小樽は北海道の物流基地となり、近代産業としての港湾商業で、北海道随一の近代都市に向います。それを牽引したのが海運・卸・倉庫などの商業とそれらを支援した「銀行群」でした。

明治41年竣工 北防波堤建設工事〈小樽市総合博物館 蔵〉

明治45年竣工 手宮高架桟橋〈小樽総合博物館 蔵〉

◢港湾商業って?

 小樽港は明治41年に北防波堤が竣工した段階で、北海道の近代化を牽引する港湾になり、すでに北前船で開拓した航路にも汽船が走り、鉄道は明治13年敷設の幌内鉄道に加え、明治36年の北海道鉄道(現函館本線)も全道に拡がりつつあり、こうして海路と陸路が整備され小樽は「北海道の心臓」といわれるようになります。

 つまり内地からの物資移入も北海道からの資源移出も小樽港を通して流通したので、これら物資の運搬、卸、保管などのビジネスモデルが移植され、この産業を支援する金融業も同時に移植されてきました。小樽黄金時代の基幹産業は、港湾を核に商業で牽引した港湾商業です。

明治後期 北前船と汽船で賑わう小樽港〈小樽市総合博物館 

蔵〉

◢銀行はどんな役割?

 結果から見ると、現在の額で総資産数十億から一千億以上を持つに至った小樽商人が数多く輩出され、大きな倉庫や立派な社屋・店舗が建ち並びました。その影で多くの銀行が支援したということです。資金さえあれば船、店舗、倉庫を持てる、また仕入れる金さえあれば売って儲けられる、といった資金需要が充満してきます。さらには銀行の多店舗が持つネットワークから各地の情報を入手して、小樽の商業者にアドバイスもしますので、資金を借りた商人たちにとって銀行はまことに頼りがいのある存在でした。

 たとえば小樽にある北陸銀行は明治32年に支店を設けた十二銀行が始まりですが、小樽に支店を設けた北陸系の銀行は、ほかに中越銀行、第四十七銀行もあります。この北陸系銀行の株主の柱になったのが北前船主でした。さらに小樽に北前船主の拠点や北陸系銀行の支店が揃うと、同郷の人々を呼び寄せ、北前船主と銀行が支援して新たなビジネスを成功に導いたといわれています。

◢どれほどの銀行が?

 小樽で一番早い支店設置は明治12(1879)第四十四国立銀行ですが、ここは明治15(1882)年に第三国立銀行に合併、明治16(1883)年に山田銀行に譲渡し、明治34(1891)年には廃業していますので記録だけが残っています。

 現存する建物として一番古いのが明治28(1895)年の第百十三国立銀行(現海鳴楼)です。ここは明治30(1897)年に百十三銀行と改称し、明治41(1908)年に新築移転(現浪漫館)し、昭和3(1928)年に北海道銀行に合併されます。

 銀行の銀行といわれる日本銀行は明治28(1896)に小樽に派出所を設け、出張所、支店と改称し、明治45(1912)年に新築移転し、平成14(2002)に業務終了となり、平成15(2003)に金融資料館になっています。

 さて小樽には明治から戦前までに、のべ55行(合併前の支店設置数)もの銀行が支店を設け、一番多くの支店を擁した時代が大正11(1922)年の24行です。

 現在は政策投資、北洋、北海道、北陸銀行そして北海道信用金庫の市中銀行5行ですから、当時の経済的発展を物語っています。いずれも日銀は含んでいません。〈『小樽の銀行小史』〉

大正13年竣工 中越銀行〈小樽市総合博物館 蔵〉

昭和11年竣工 第四十七銀行〈小樽市総合博物館 蔵〉

◢銀行街

 …。

 

昨日、図書館で調べてみました。

・『小樽の銀行小史』は、図書館には無いそうです。

図書館で用意してくれました

どれも

持ち出し禁止なので

読むしかありません

山田銀行はあったんですが…

『どなたか、四十四銀行・第三国立銀行・山田銀行についてご存知の方、いませんか?』

『さあ、次は何で調べようかな!』

『あれっ、ろう金は?市中銀行と違うの?』