第七章~その三

2021年10月06日

♦銀行の撤退

 北海道のウォール街からの銀行撤退は見事というほどの手際よさだった。機を見るに、という言葉そのもので、金利差で稼ぐ銀行稼業にとって当然ともいえそうだ。

 市道の緑山手通に残る銀行の建物は、運河側から見ると十字街に面した拓銀がペテルブルグ美術館になり、三菱銀行は中央バス第二ビル、第一銀行が紳装、残った一角は新築された小樽郵便局と、ほぼ昔の面影は止めている=写真⑨。少し離れた国民金融公庫も旧協和銀行の跡地だった。

 色内十字街に近く、小樽商工会議所前に位置するさくら銀行は名称もユニークだが、建物も一際目をひく。北米の花崗岩を外壁に貼るルスティカ積みと軒周りの人工石材の装飾彫刻が特徴のきれいな建物だ=写真⑩

 さくら銀行は元の三井銀行。戦時中の昭和十八年二第一銀行と合併して帝国銀行になったが、二十九年一月に元の三井に戻った。宮本百合子の父中条精一郎と工部大学校第一期卒業の曽根達三が設計して、大正十五年七月起工。完成した昭和二年ころがウォール街の全盛期だった。

 三井の小樽進出は明治十三年九月と早かった。明治二年に民部省通商司に海陸産物の販売を、開拓使が金穀出納を任された三井組が信香に置いた出張所が大火で焼けた後、二十五年に支店に昇格している。三十八年当時の支店は石造二階建て。窓に特徴があり、道路側に高い鉄柵を巡らしている写真が明治四十四年発行の『東宮行啓記念写真帖』に収められている=写真⑪

 同じ写真帖に第十二銀行の支店もある=写真⑫。

 銀行の小樽進出と撤退を表にしてみた=写真⑬。

より

 

運河のにぎわいを見に、出かけました

船から小さな子たちが、手を振ってくれたので、お礼に手を振りました。

すると、「えんちょうせんせ~い。」とたくさんの子が声を出していました。

『こどもたちから、こんなにも、したわれているのは、もしかして?』

やはり いました。

『私の友人が、この船着き場の橋に。中央橋に。…。』

堺町も すこ~し 観光客が増えて来たようです

思い切って聞いてみました

『試食 再開の予定はありますか?』

「ありません。😢」

この道を

通って

市場によって

醤油漬けにすると、酒の肴に良いんだよな~

帰って

きました

 

スーパーで山葡萄が売っていました

『今度、採ってきたら、売ろう。』