文化学院での河崎先生

2021年10月22日

 田上千鶴子は『季刊文化院』に、なつの授業ぶりをきわめて生き生きと再現している。

…。

 

授業その一

 河崎先生の時間では、まず地理がありました。

 「さあ、みなさん。東京駅……ではなかった、今日は上野だ。はい。上野のところをおさえて下さいよ。ここから汽車でずうっと北の方へ行きましょう。この鉄道は何線ですか」

 みんなは「東北本線」と答え、それから地図の上での東北旅行がはじまります。鉛筆で線路の上を辿りながら、途中の駅々でちょいちょい道草をして那須の原では金毛九尾の妖狐が現れて、勿来の関では武将の風雅。牡蠣をたべたり、鉄瓶や馬をほめたりしながら仙台、岩手、青森と行くにつれて、そのところどころの文化、産業の解説が一問一答の形で進行するうちに、とうとう青函連絡船で海峡を渡ってしまうと、そこは北海道。マッカリヌプリ、カムイヌプリ、ヌプリとはアイヌ語で山、という意味であること。カムイヌプリの麓に眠る摩周湖の神秘的な美しさ、エゾ松・トド松、広大な平原。話がとんで、先生の小樽高女在職時代の思い出に移り、急に先生の顔がいきいきと輝くと雪煙をあげてスキーに興じられた若き日々のことを、さも楽しげに表情たっぷりにお話になるのでした。もち論、まだスキーなどの珍しかったその頃です。

 「これからのにっぽん女性は、水泳でもスキーでも、どんどんやって、大いに頑張らなくては。……

そうだ。いつか、あんたがたを北海道に連れていってあげよう。そしてね、しゅーっ……しゅーっ って、スキーを穿いて、みんなして雪の中を滑るの。」

 地理はいつのまにかそっちのけで、私たちはわけもなく「わあーわあー」と歓声をあげて、夢のような話にききいるのでした。

文化学院創設(1921=大正10)の頃、前列右から2人目

 

いよいよ 雪の季節です