‶刺青衆(ばくちうち)〟相手に啖呵

2022年01月19日

豪胆だった倉内酒造店の先代

〇…互楽座を建てるとき町内の小商人や料理屋の主人などは豊島親分に随分おどかされたというがその強い人賭博相手に一歩も後へ引かなかつたというのが浜通り一酒造店を開いた倉内仁吉さん(倉内酒造の先代)である、小樽一の勢力を持つ星川座と函館に本拠を持つ丸茂一家を向うに回して〇身、借金返済を請求し、侠客から一銭残らず賃金を取り上げたとという、白の腹巻にドス、のんだ刺青衆十数名に取り囲まれてビクともせず「貸したものは貸したもの 呉れたものは呉れたもの、けじめをはっきり致しましょう、」と啖呵を切った仁吉さんの豪勇は今でも語り草として傳えられているが、この仁吉さんの孫にあたる倉内盛保さんが山サ幡豆竹輪商のお婿さんになっている、幡豆佐山さんもこの町で古顔で幡豆と書いているハズと読むのも珍しいと小樽珍名の一つになつていた

〇…小樽市議会の副議長坂田政義さんはこの町内での旗頭であるが同時に立志傳中の人でもある

宇園別から父と一緒に八雲へ流れ汐見台町清水健蔵さんの店で苦労して一本立ちになり昭和四、五年の苦境を乗り越えて事業を拡大した、〇田浦吉さや塩田〇吉さんのなくなった北海道の木材界で松浦周太郎さんに次ぐ大物として注目されたのは五年前のことであつた、削道〇〇に不幸一敗地に呑みこまれたけらは、政治へ進出を思い止まって事業専一にわが道をすすんでいる

この坂田さんと背合せに元老木村松太郎翁が孫を相手に余勢を送つているが、かつて坂田氏の先輩として市議会に座っていた木村さんである、米が政府に取り上げられない前までは小樽精米業界の雄として活躍していた、昭和七年時の鉄道参輿官山本厚三代議士の知遇で郊外バス路面の許可を得、銀バスの社長としておさまつたこともあり、借金のカタに取った〇の金券を含む〇石が出て木村金山王が出現するのではないかと噂されたこともあつたが、戦争がこの老人の夢を全部さらつて行つた、商売も取り上げられた、一人の娘には死なれた、嫁さんも出て行つた、取り残された孫と家を守つてつつましくいきている、そのころたたき鍛冶屋の横堀鉄工所は戦争中付近一帯の人家を買い占めて事業を拡大したが終戦後は工場の硝子も屋根もこわれ放題になつている

〇…奥沢に藤田昆布加工所を経営している藤田元吉さんもこの町にいて藤田勉強堂という文房具店を出していた、父親の元吉さんは能筆家でもあり墨作りの名人でもあつた、その藤田勉強堂の隣りに安宅というこんにやく屋があつたのは大分昔のことらしいが、先ごろ水引戦艦で五重塔をマッカーサー元帥に献上したり、御所車を天皇に献上した電氣館通りの安宅武雄さんの先代とのことである、然も安宅さんの作っていたこんにやくは白滝こんにゃくであつたというからどこまでも細い糸のようなものに安宅さんは緣がある、去る人達ばかりで來る人のない町、所詮は衰亡の町である、次代の小樽を背負うような人物ももうこの町にはいない

 

~おらが町内人記 金曇町界隈(その二)

 北海タイム社 編