おたる海陽亭と仙巌園・尚古集成館

2022年05月06日

『キングポスト・トラス』

 海陽亭の小屋組は、明治時代に建った大広間の棟と、大正時代に建った中広間の棟は、共にキングポスト・トラス(真束小屋組)である。

現在においては、キングポスト・トラスの小屋組は、ごく普通に見られ又、工法的においても、構造力学の上から明確になっている。しかし、海陽亭の大広間が建った明治時代には、昔ながらの和小屋組が主流を占めており、西洋のトラス構造の一つであるキングポストは、日本に伝わってまもない珍しい構造であった。

 勿論、工法的にも構造力学の上からも、理論的に今日の技術まで確立していなかった。我国の近代建築を論じるとき、外国からの新技術であるトラス構造の中のキングポストを省いて論じる訳にはいかない。

 したがってこの調査報告書では、少々、長くなるが海陽亭の建物の重要なポイントを占めるキングポストについて、その歴史から触れることとする。

 キングポスト(真束小屋組)やクイーンポスト(対束小屋組)をはじめとしてトラス構造に数種類の形態があるが、形態の如何に拘わらず構造の誕生の歴史は古い。

中世にはかなり進んだ形のトラスが現れているが力学的解釈を伴った応用

 現在のところ、我が国ではっきりしているトラス構造による建物の出現は1859年(安政6年)であるからかなり早い時期によるものである。

 しかし、キングポスト・トラス構造に限ってみると、設計理論の確立はまだ先のことである。

 薩摩藩主 島津斉彬は、1858年(安政5年)邸敷地内に5棟の工場を建てた。。工場は、兵器、陶器、硫酸、ガラス、アルコールの試験製造のためのものであった。

 この5棟の工場群を集成館と称していたが、1863年薩英戦争で破壊。その後再興され1865年(慶応元年)に竣功した。

 その中の機械工場を後に博物館とし、尚古集成館と称するようになった。この尚古集成館が、我が国に現存する最古のキングポスト・トラス構造の建物である。

…。

豊平館の完成後、3年たった1884年(明治16年)小樽手宮機関庫が着工された。この手宮機関庫は、開拓使のお雇い技師の設計によるが、キングポスト・トラスを変形させた構造である。さらにその数年後には小樽の有幌町や南浜、北浜の運河沿に木骨石張り構造の倉庫群が建てられた。

 この木骨石張り構造の倉庫の殆どは、キングポスト構造による建築である。大きなスパンを必要とする倉庫のニーズと、キングポスト・トラスの西洋建築技術の市井への敷延とがちょうど一致し、小樽経済を支える倉庫群を作り出した。

…。

 

 

1月25日 地域マネジメントについて

講師の吉岡先生が

講義で 仙巌園と尚古集成館についてお話していました

 

3月27日

講師の高野先生が

新たな資料を

いろいろと

提示してくれました

『これは一度、行ってみなくては…。』

と、いうことで 今から一月前 出発しました。

 

1日目 4月6日(水) 大阪なんば着。

『難波と言えば

以前は、風情ある飲み屋さんばかりでした

球場もなくなり

都市開発されてからなかなか探せずにいた昔からの味のある店

なんと今回4軒も見つけてしましました。ホテルのすぐ目の前に。(今回の旅の目的その1)

『夕食はもつ煮込みとおでんを肴に満足!』

 

2日目 4月7日(木)近鉄に乗って、吉野へ。3年前は桜がほとんど散りかけていたので再チャレンジ。

遂に満開の吉野の桜を見ることができました(旅の目的2)

桜を満喫し、難波へ戻り、難波2軒目は焼き鳥屋さんを満喫!

した後は、大阪港(フェリーさんふらわあ舟遊 大阪~別府)へ

 

3日目 4月8日(金)朝、別府港から別府駅へ~3カ所の手湯につかり

JR日豊本線にて臼杵へ

(旅の目的3)臼杵石仏は、凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖仏群です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたといわれていますが、誰がどのような目的で造営したのか、はっきりとしたことは分かっておらず、今もなお多くの謎に包まれています。

…。

列車旅のつまみ 剣先イカも購入し、

JR日豊本線臼杵発宮崎空港行

宮崎駅下車

遅い昼食は宮崎牛と思ったのですが、 ‶3時から休憩中〟 が宮崎流?のようです。 残念!

観光案内所でパンフレットをいただき

JR日豊本線宮崎発鹿児島中央駅行へ

夕食は、夜の鹿児島天文館を歩き回り、好さげな 薩摩料理かにや へ

「地元の方とすっかり打ち解けてしまいました。地鶏の刺身、きびなごの刺身、揚げたてのさつま揚げ、そして薩摩焼酎~森伊蔵、村尾……大満足でした。』

 

4日目 4月9日(土)

まずはフェリーで桜島へ(不知火を買い、山の中腹行のバスへ)(旅行の目的4)

足湯につかったあとは、鹿児島港に戻って、いざ

へ(旅行の目的5)

世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」

2015年7月「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録されました。鹿児島の構成資産「旧集成館」は、仙巌園や尚古集成館一帯を含むエリアです。ここでは、島津家28代斉彬が他に先駆けて近代化・工業化に取り組み、日本最初の洋式工場群「集成館」を設置しました。斉彬亡き後も、彼の志を受け継ぐ人々が集成館を舞台に強く豊かな国づくりを目指します。そして、彼らが培った技術が、近代日本の中核となり、工業国・技術大国の原点となりました。現在、この地は「日本の近代化・工業化発祥の地」として世界から注目されています。

島津斉彬は『北海道は実に日本の宝蔵なり』

開墾して人々を入植させることによりロシアの南下政策に対抗しようとしたのです。

その志を受け継いだ人々が北海道開拓に…

札幌農学校のクラーク博士が伸び伸びと教育に当たれたのも、初代学長 調所広丈の存在が大きかったのです。

明治の

初めから北海道へ

明治2年から昭和元年までの移住は、約227万人

『島津斉彬の 先見の明 を感じることができました!』

『北海道開拓使初代長官 鍋島直正(前佐賀藩主)は、島津斉彬の従兄弟だったのです。そして一緒にやって来たのが、島義勇判官(北海道開拓の父)でした。』

 

 

昼食は、鹿児島ラーメンこむらさき 肉ましましで。

そして、フェリーさんふらわあ舟遊 志布志~大阪

『なんと、今回のフェリー代往復で一人10000円。このコース限定なのですが…。

そして、乗るなら2等席~皆さん個室を借りるので、かえって2等席が貸し切り状態になるのです。』

 

5日目 4月10日(日)朝、黒門市場、道頓堀(だいぶきれいに整備されており、運河クルーズもありました)法善寺横丁…難波3件目は、焼き肉。

帰路につきました。

『今回の大阪のホテルを、これからの旅行での本拠地とすることにします。』

 

仙巌園からの桜島(目前の桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた壮大な庭園でした)

うちから見えるこの景色

『ここに、利尻富士があったら、仙巌園からの景色と同じだね。』と、妻と語っています。

『桜を見、桜島を見、旅。無事終了!』