元貴族議員 犬上慶五郎 翁

2022年07月11日

 同氏は慶応元年松前郡福山に生れ、幼にして函館に出て長じて小樽に移り回漕業を営む。

 明治四十一年始めて汽船札幌丸を北海道炭礦鉄道より購入し船舶業を開始し、爾後年々業務を拡張し、殊に欧州戦乱以来事業好況に進み本道有数の多額納税者となつた人だ。

 同氏は犬上商船株式会社社長たる外敷社の重役を兼ねているが、先年関係会社たる北海道鐵道會社の問題で大分迷惑されたことがあつた。其當時、筆者は翁を訪ねて親しく問題の経過を聽いたことがある。次は其一莭である。

 五私鐵疑獄の第一回公判開始以来十六日の判決まで滿二年六ヶ月。その間公判回數百十二回、而も之れが勲章事件、合同毛織事件と同時に昭和の三大疑獄として巷間に喧傳されたので、世人の興味は一層高まつた譯である。

 特に本道…わけても小樽人としては、此事件の渦中に前貴族院議員、現犬上慶五郎氏が、北海道鐵道株式會社連座して居たことに依つて他事と思はれぬまでに關心持たれ事件の経過を注視して居たことは慥かである。

 筆者は、無罪の言渡し以來、晴天白日下に四年六ヶ月振りにのんびりとした犬上翁の喜色を見るべく犬上汽船の社長室訪ねて見た。

 翁はあの巨象の如き身體どつかとおろして、晴々とした態度でポツリポツリと當時の心境を物語るのであつた。

筆 者「此度はえらい御災難で…」

犬上翁「いやどうも、なんですよ昭和三年の十月から恰度四年と六ヶ月になりますよ。

 大體あの問題の根本の成立ちと云うのは、北海道鐵道株會社でやつて居た金山線の外、沼ノ端から邊富の線があつたがそれを札幌の苗穂までかけるといふ話が、重役並びに株主の中に起つたのであるが、當時は會社には金も無かつたので、それで拂込みをしてと云ふことになつて重役會並びに株主總會を開い決定したわけで、此時は拂込みと社債發行とで約二百九十萬許りの金をこしらへビ時に開通したのでした。處が當時今と違つて會社の商賈がどうもうまくない。何時も下押の景氣で損計り續けて居と云ふ始末で、此れでは、どうもやりきれんからひとつ政府に買収して貰はふぢゃないかと云ふ話がよりより出て來たのである。最も、此の買収の話は昭和元年當時から重役や株主の間のもあつたことはあるが、鏖々表面化して來たのは昭和二年後五月二十一日の重役會で、札幌市の苗穂から邊富内に至る八十哩の鐵道を政府に買収せしめる交渉方法を私に一任すると云ふ決議をしたのが始まりで、それから株主の意見も同様だつたので、私もそれを引受けるといふことにした譯です。併し乍ら、私はどうもそう云ふ運動などは一向に不向きであるし、てんで經験のないことなので、それでは其の運動方を社長の指令の人に頼むことにするから、そうさして呉れと言ふので其場で、私から凾館の渡邊孝平君(同社取締役)と兵頭栄作君(同社監査役)に運動を一任することにした處、本人達も早速其の席で承知してくれたので、それを頼むことにしたのでした。」(以下略)

 此事件は今日尚ほ大審院で審議中の様であるが、該事件關係者中犬上翁唯一人が簾に無罪の判決を受け、完く世間の疑惑を去り、青天白日の身となつたのは、翁平生の高潔を物語るものと言ふべきだ。

 犬上翁は現に小樽に在り、老來彌々意気状んにして、翁獨特の豪快なる風格を以て活躍を續けて居るのである。

 

人物覚書帳

小樽図書館蔵

~人物万華鏡~より