目的~一度は…と世界遺産めぐり

2022年09月01日

万座毛

古宇利大橋

美ら海水族館

も 見たので…(でも、さすが沖縄、片側四車線もあるのに大渋滞でした。五車線目を工事中区間も…)、

 

出かけました。

うるま市四島経由循環バスに乗って

あやはし海中道路を通って

浜比嘉大橋や伊計大橋もわたって

四島めぐりを終えた後は

やってきました

勝連城跡(13世紀初頭築城)

2016年9月、3~4世紀のローマ帝国のコイン4枚と、17世紀のオスマン帝国時代のコインが出土したそうです。

勝連の 按司(あじ)=城主 阿麻和利(あまわり)~琉球王府が恐れた勝連の英雄の居城

久高島も見えるそうです

 

その翌日も、路線バスに乗って

世界遺産めぐり

道を尋ねて たずねて ようやく たどり着いた

読谷村 座喜味城跡(15世紀初頭築城)

座喜味城は1420年頃に読売按司・護佐丸によって築かれました。護佐丸は当初 座喜味の北東約4キロにある山田グスク(現恩納村)に居城していましたが、北山城(今帰仁城)攻略に参戦した頃に敵からの防御や長浜港を控えた地の利を考えて高台にある座喜味に築城したとされています

ヨーロッパの古城のようなアーチ門

「要塞としての城の完成形」といわれる城です

この先が残波岬

美ら海からも見えた島

こちらは、粟国島?

『時間に余裕があり、渋滞をあまり気にしない方には路線バスの旅をお勧めします。』

 

さらに、向かいました。

南城市

勝連城からも見えたかもしれない

久高島(琉球王朝時代から数々の神事が行なわれており、「神の島」と呼ばれる。琉球開びゃくの祖アマミキヨが天から降りて最初につくったとされており、五穀発祥の地ともされた。歴代の琉球国王は17世紀まで年に1回、久高島参詣を欠かさなかった。

 12年に1度、午年(うまどし)に行われる神事・イザイに代表される神秘的な神事が行われていたため、民俗学的に貴重な島として注目されている。

 

世界文化遺産

斎場御嶽(せーふぁうたき)~琉球開びゃく伝説にもあらわれる琉球王国最高の聖地

大庫理(ウフグーイ)~最初の拝所

寄満(ユインチ)~王府用語で「台所」を意味します。ここで調理をしたわけではなく、貿易の盛んであった当時の琉球では、世界中から交易品の集まる「豊穣の満ち満ちた所」と解釈されています。

二本の鍾乳石の

先に溜まった滴が

 

二つある、下の壺へ滴り落ちるのです(聖なる水)

 

三庫理(サングーイ)

斎場御嶽とは

 御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で、斎場御嶽は琉球開びゃく伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地でまた、琉球国王や聞得大君(きこえおおきみ)の聖地の行事を今に伝える「東御廻り(あがりうーまい)」の参拝地と現在も多くの人々から崇拝されています。

 御嶽の中には、六つのイビ(神域)があります。琉球国王はこの六ヶ所を参拝しながら、国家繫栄・安寧、五穀豊穣、航海安全などを神に祈願しました。

 はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島から特別に運び入れ、それを御嶽に敷きつめました。その中でも、最も大きな行事が、聞得大君の就任式である「御新下り(おあらうり)」でした。

 

 御新下り

 聞得大君=最も名高い神女(国王の姉妹など王族の女性が任命された~初代(1470年)から15代(1875年)まで400年余りにわたって、琉球王府の神事を担った。)が最高神職に就任する儀式。首里における儀礼を終え、いくつかの要所を経て、知念間切(ちねんまきり)にある斎場御嶽に入り、数々の儀式を執り行った聞得大君は、聖水を額に付ける「御水撫で(うびぃなでぃ)の儀式で神霊を授かり、神と同格になったといわれる。