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2022年12月13日

第四十七銀行小樽支店

昭和11年11月竣工(1階に、オーストラリアワイン専門店が、この12月オープンするそうです)

 小樽への進出は、明治四十年四月である。

 この銀行が常時競い合ったライバル銀行が、十二銀行であった。共に富山県富山市に誕生した銀行であって、十二銀行の創立が明治十年七月、第四十七銀行の創立が同十一年十月であった。小樽への支店の開設は十二銀行が明治三十年七月であり、それに遅れること十年にして、第四十七銀行小樽支店の開設を見たのであった。従って明治四十年四月以降、この二つの銀行は、小樽を舞台にしてその業績を競い合ったのである。

 小さいながら建物前面がいかにも銀行らしい木造タイル貼小樽支店が建てられたのは、大正四年頃とされている。建設当初は、建物の内部は吹き抜けで一m幅の回廊が設けられ、正面玄関からカウンターの内側までフローリングが敷きつめられていたという。又、そのカウンターは、すべて表面が大理石で蔽われていた、とも言われている。現在では、その内部はすっかり改装されてしまっているが、道路に接する建物前面だけは、いかにも銀行らしい面影空間をつくっていて、玄関を挟んで左右に二本ずつ計四本の太い円柱が立ち並んでおり、銀行らしい威容を建物に添えている。

 第四十七銀行は、昭和十四年十二月に、それまでのライバル銀行の十二銀行へと吸収された。十二銀行は、同十八年七月には中越銀行を吸収合併して北陸銀行と改称するに至った。中越銀行小樽支店の開設は、明治二十八年で、三銀行中の最古参であった。

 ところで、これらいずれも本拠を富山県に置く三つの銀行が、なぜに小樽に進出して来ていたのであろうか。それは、小樽が北海道の物資集散基地として繁栄するにつれて、富山県人の往来も頻繁になったからであった。又、北海道の内陸部における開拓の進展の多くが、富山県人の手によってなされたからでもあった。今日北海道内の各地に伝承されている民俗芸能の獅子神楽や獅子舞の多くが、富山県内で行なわれているものと共通性を持ち、そこから移入されて来たものであることも、それを物語っている。

 「どうせ金を出し入れするなら、郷里の銀行を通じて……」と考えたのも、人情の自然であった。

(文章は 小樽歴史探訪 小野洋一郎著 (株)共同文化社発行 より)

 

中越銀行(1924年(大正13年)竣工)

第十二銀行稲穂出張所(1926年(昭和元年)竣工)~現在は栗原恒次郎商店

北陸銀行小樽支店(2019(令和元年)10.21オープン)

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富山県から 小樽へ

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