仁義の建築請負人「大虎」加藤忠五郎

2023年07月01日

加藤忠五郎~明治後期から昭和の初めにかけて、小樽区公会堂、日本銀行小樽支店など、小樽を代表する名建築を多数手掛けた建築請負人である。屋号は和泉屋、印は大虎

一旦請け負った仕事は、自らの責任でやり遂げる。

施主からの信頼も厚く、後世に残る素晴らしい意匠と巧みなデザインを施した建築物を生んだ大虎。

加藤忠五郎が手掛けた名建築の数々、ここにあり。

小樽区公会堂落成記念に忠五郎が出版した(写真帳)12枚組の一枚(小樽市総合博物館所蔵)。小樽区公会堂施工式。明治44年に落成し施工式が行われた様子。

(旧小樽区公会堂・明治44年)花園5丁目2-1

明治44年、皇太子(後の大正天皇)の北海道行啓の際に、御旅館として建てられた。御殿、本館、付属の建物で構成された和風の建築様式である。行啓後は市の公会堂となり、昭和36年に現在地へ移築された。この時、岡崎家の能舞台(大正15年)も移築されている

現在

日本銀行旧小樽支店(明治45年)色内1丁目11-16

設計は日本近代建築の先駆者、辰野金吾、長野宇平治、岡田信一郎である。小屋組には八幡製鉄所製、床にはイギリス製の鉄骨を用いるなど当時の最先端の技術が使われている。平成15年から「金融資料館」として一般公開されている。小樽市指定有形文化財

旧北海道銀行本店(明治45年)色内1丁目8-6

明治45年に開業した北海道銀行が記念に制作した絵ハガキ。設計は日本銀行旧小樽支店の設計に携わった長野宇平治。銀行建築独特の重厚さとコーナー部分のデザイン、玄関や窓周りの変化などに特徴がある。外観の正面はほぼ創建時の姿を留めている。(小樽市総合博物館所蔵)

住吉神社社務所(昭和9年)住ノ江2丁目15-1

昭和9年に施行された純和風建築。木造の社務所として道内最大の規模を持つ。車寄せは唐破風の屋根で、母屋の千鳥破風と対になった美しい造り。平面は中央に中庭を設けた口の字型で、本館、客殿社務所関係諸室など40以上もの部屋から構成されている。設計は忠五郎で大虎が施工した。

旧板谷邸(大正15年~昭和2年)東雲町1-19

海運業などで財を成した板谷商船の創立者・板谷宮吉の邸宅として建てられた。母屋は和風の造りで、北側の洋館は木造モルタル塗り、銅板で葺いたマンサード屋根が堂々とした雰囲気。かつては「海宝楼」という名で一般公開されていた。

岩永時計店(明治中期)堺町1-21

明治28年創業の時計卸商、初代岩永新太郎の店舗として屋根の装飾や軒の操り型など細部に施されたデザインが素晴らしく、瓦葺の屋根には商店としては珍しい一対の鯱が飾られている。当時の小樽商人の心意気を感じる建物。平成5年に小樽市都市景観賞受賞。

水上邸(旧水上歯科医院・昭和7年)住ノ江1丁目6-26

昭和8年に歯科医院兼住宅として建てられた。木骨モルタル造りでの3階建て。アーチ状の玄関や装飾など、正面の意匠が秀逸な建物である。現在は水上やすさんの自邸。一般公開はしていない。少しずつ昔のままに修復してきた水上さんの思いが詰まった建物。

昭和10年頃、色内通りのいろは堂隣に移築した。上方には印の大虎が堂々と描かれている。昭和40年の古い地図には大虎商店と書かれている(小樽市総合博物館所蔵)

明治末期から大正にかけての和泉屋。暖簾には文具、煙草、化粧品などの文字が書かれていることから、建築請負業のほかにも商いをしていたものとおもわれる。(小樽市総合博物館所蔵)

2015.7月号vol.92

株式会社ぷらんとマガジン社 より

 

実はこの本に

うちの店も紹介されたんです

昨夜から

小樽は大雪

でも、出かけました。

そして

衝動買いしちゃいました 塩クジラ

だって ミンククジラ(ノルウェー産)なんですよ

 

『さあ~、本日2回目の雪かきをしよ~っと。』

観測史上最大の降雪量だそうです(12時間に降った雪の量としては)

 

~2023.1.10