建築請負業の大頭目 加藤忠五郎商店(稲穂町 電話 一〇二三番 五五五番)

2023年07月01日

加藤忠五郎氏

二百五十有余年の舊家(きうか)

 大虎 大正初の寅歳に、建築業の成功者で小樽建築界の巨臂(きょはく)たる大虎を家號の加藤忠五郎商店を紹介するに於て、快心を禁じ得ぬ。

 店主加藤氏の實家は、越後国三島郡尼瀬で、代々和泉屋と號して連綿實に二百五十餘、忠五郎氏に至つてまさに十三代目の舊家である。一寸略歴を述べて見やう、忠五郎は安政三年七月の生れ、祖先は宮大工だが十三歳の時、不幸にも父に訣れ、時恰も維新の戦亂に際して百事意の如くならず、殆んど家計を失ふて窮境に落魄し、言後に絶した辛酸を嘗めて明治九年の春、意を決して東都に出で、建築工事の技を學ぶこと數年明治十四年七月小樽へ航つて建築業を開き、普通ならぬ勤儉と勞とは遂に今日の大を成した素因である。

營業上の憲法

 成功者には誰しも格守すべき、 唯一の信條があ。君卽ち同店が建築工事請負を爲すに當つて、第一に厳守する營業上の憲法は、献身的なるべきこと、任侠的なるべきこと、期限を違えぬこと、些(いささかの)不正行爲をなさぬこと、先づ此の四つを頭に刻み胸に畳んで居ることである。故に一旦請負ふたことは、其仕事の大小種類の如何に拘はらず、徹頭徹尾献身的に、時に或は犠牲的に必ず竣成せしむるのである。請負半ばにして生じた事業の損害は、理義の通つた事情である以上、悉く身を殺して仁を爲す底である。如何なる場合にも、世上多かる請負業者の如く、所謂、「手を抜く」「用材を呑む」などの不正を微塵もせぬのである。此信條を以て部下の腹心に布き、人により事によつて其精粗を立てぬのである。

 任侠的にして、 爾も堅實なる同店の營業振りは、當區の北海道銀行・三井銀行支店・拓殖銀行支店・今井合名會社本支店・札幌區役所・農科大學の一部・金子本邸・公會等名だたる大建物を始めとし、其他區内重なる建造物は、大抵同店の手に待つものが多いのである。殊に公會堂の如きは、明治四十四年の夏行啓の東宮殿下御宿所に充つることとて、冱寒と暑熱の中に全六ヶ月間、寝食を忘れて自ら工場に立ち、最新の注意を拂ふて監督し、粒々辛苦竣成の榮を負ふたのであるが、此建造物と工費との對照に於て、明かに同店の信條を證據立てて餘りあるのである。

推奨すべき交友會

 同店では、 現在の小樽商店に多く見られぬ一美風は、店主と雇人との仲が如何にも睦じく圓滿なる一事である。

本より、水火を辭せ消防や、果ては大工職人などの意氣な勇肌合を相手の家業は、又自と他と別種の觀があるとは云へ、目下加藤商店の被傭人は約百餘人もあるが、其間柄は傭者と被傭者との、關係を離れて、全くの家族的である、主人たり傭人たるよるも、親子の親密がある、否な今一歩進んで、寧ろ禮儀正しき平等主義に立つて居るらしく見ゆる、大虎交友會なるものは斯かる關から組織されたのである、其主旨は言ふまでもなく相互の親睦を敦ふするは勿論、吉凶相慶吊すること宛がら一家の如く、善悪相責むると恰も良友の如くである、時に茶菓酒肴を饗して積日の勞を醫し、或は斯道に關す新知識も授け、又は平易に人道を鼓吹することもあり、常に和氣藹々、若し主命一下せば、百餘の者は宛然手足の如く、日夜採骨を吝まず誠實に立働くのは、本より加藤氏の人格大に與つて力あるに相違ないが、又此の如き一代美事が存するからであらう。

 加藤氏、 現に公に商業會議所議員で、又小樽木材業組長となり、而して明治二十四年以来終始一貫消防に藎瘁し、現に消防組頭の職に在り、小樽火防の事、一に君の双肩に負ひして居ることは、區とし區民として特に多大の謝意を拂はねばならぬ。

 君の俳號、 無一庵猫角『花に蝶我れも夢路を辿るかな』、これ君が解脱悟道、既建の碑に刻める句である。

 君今、 札幌に支店を設けて業務の拡張を圖るつつあるが、尚ほ又、代々の家號を連綿せしむる志から、和泉屋唐木店を營んで居る。

加藤忠五郎商店は、 稲穂町の こちらのマンションが建っている場所にありました

大正三年に発行された 『小樽』 棟方虎夫

は、

私の年表では

ほぼ中央に位置するんです

『小樽を知る貴重な資料です。』

 

今日

頭上の大雪を警戒しながら

雪囲い第二弾を

しました

 

~2023.1.11