世界に目を向け 森正則

2023年09月19日

構想の大きな商売商う

 正則は新しいセンスを商人だった。お茶、紙文房具類の卸ろ商として販路を道内、樺太に持っていた早川商店の支配人だった。。正則は、店舗を色内町に進出したさい小売業も兼ねることにした。当時座売りだった小売り商売に全道で初めて陳列ケースを設置、近代的な商法を取り入れたほか、アメリカから金銭登録機(当時のカネで五百円もしたという)を購入、これには使用方法を知るためアメリカ人の技師を招いた。もちろん金銭登録機も全道で初めてのものだった。

 さらに大正の初めには道内のオンコ材をごっそり買い入れ、これをドイツに贈って、エンピツを購入するバター貿易を計画ステットラーという大きなメーカーにオンコ材を送ったのはいいが第一次大戦が拡大する時局にぶつかり、一本のエンピツも送ってこなかった。しかし、三年のちドイツからどっさりエンピツ、万年筆が送られドイツ人の信用ぶりに大いに感服した。

 ともあれ、このように正則はいつも世界に目を向け、新しいセンスと構想の大きな商売をしてきた。正則は小学校時代、のちに大蔵大臣となった藤田主計と主席を争うほど頭がよかったが、家庭の事情から四年生で中退している。しかし、独学しながら英語をマスター、漢語を学ぶという努力家だった。

 第一次大戦のころ本州のチリ紙需要がふえ、道内への移入がとだえた。正則は小樽や札幌の紙問屋に呼び掛け資本金十万円の製紙会社を創設した。これがいまの北海製紙である。道内では初のチリ紙メーカーだけに技術的にも苦労がたえず長い期間欠損を続けた。

 正則は温厚な人がらだったから、市内の経済界にも重宝がられ、いつもまとめ役として活躍。また小樽商工会議所の会頭として市内の経済界をリードした。さらに道議から代議士へと政界に進出、政治家としても大いにその能力を発揮している。道議のころ、小樽と札幌で貯金局の誘致が活発だったが、正則は『道内の経済をリードしているのは小樽だ。貯金局も小樽に設置すべきだ』と譲らず、結局は小樽の誘致が成功した。彼は政治家としても卓越した力量を発揮したが、経済人としても北海製紙を初め、大正証券、昭和倉庫、物産倉庫、北海商工銀行の重役に就任、小樽取引所には明治十四年の創立いらい理事長をつとめるなど実業界のちょう(寵)児だった。

北海タイムス

小樽経済

百年の百人⑪

 

小樽運河百周年記念事業 ナイトマーケットへの

そば会席小笠原の出店は

一昨日 無事に、終了しました

『ご来店いただき、ありがとうございました。』

 

が、

ナイトマーケットは、10月15日(日)まで開催中です。

小樽にお越しの際は、運河沿いの散歩にお出かけください。