方向転換 その2

2023年03月21日

日本遺産とは

~地域創成を文化面から支援する~

「日本遺産」は文化庁が平成27年度から実施している制度で、地域の歴史的魅力や特色を通じて文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として認定するものです。そしてストーリーを語る上で不可欠な有形・無形の文化財群を総合的に活用する取り組みを支援し、地域の活性化・観光振興につなげることを目的としています。…。

 

本県では初めて認定された日本遺産が、ストーリー『琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」です。冊封使節団をはじめ外国からの賓客をもてなすために発展した食文化や芸能は、今も県民の誇りになっています。

 

『ということで、

其の1~沖縄料理

其の2~泡盛

其の3~芸能

に、チャレンジすることにしました。』

その前に…。

 

01 STORY 琉球王国の礎を築いた古の王都・浦添

 

 かつて沖縄県は琉球王国と呼ばれる独立国家で、独自の文化を形成してきました。王国としての基礎ができ始めたのが12世紀ごろ。ムラ社会が発展して各地で按司と呼ばれる指導者が力をつけ、やがて王統が出現します。そのなかで最も有力だったのが現在の浦添市に拠点を置いた舜天・英祖・察度の三王統です。13世紀頃の英祖王の時代には居城として浦添グスク(城)が造られました。

 その後、14世紀に入ると按司たちは本島中部を拠点とする中山と北部一帯を治める北山、さらに南部一帯を統治する南山という3つの王統にまとまり、沖縄島の覇権をめぐって争いをくり広げることになります。

 1349年に西威王が亡くなって英祖王統に終止符が打たれ、代わって察度王統が中山に君臨します。45年続いた察度王統の時代、浦添グスクは高麗系瓦葺きの正殿を中心に、石積み城壁で囲まれた大規模な城になりました。また、この頃から、牧港を中心に中国との朝貢貿易が始まるなど海外交易の扉が開かれました。 このように当時の王都・浦添は、後に大交易時代を迎えて東アジアの中継貿易拠点として繁栄する琉球王国の礎を築いた都といえます。今も浦添市には、中山の王城であった「浦添グスク」や中山の王陵である「浦添ようどれ」、首里城と浦添グスクをつなぐ石畳の古道など多くの史跡が残されています。

そこで さっそく 浦添グスクへ むかうことにしました