方向転換 その6

2023年04月01日

首里城下で伝統ある3つの酒造所めぐりはいかがですか

沖縄が世界に誇る銘酒、泡盛。城下町首里には、遥かいにしえより泡盛を作り続ける3つの酒造所があります。今でもそれぞれに伝わる伝統の味わいを守る酒造所を訪ね、その芳醇な味わいを確かめてみませんか。

瑞穂酒造株式会社

瑞泉酒造株式会社

有限会社識名酒造

 

04  STORY 御用酒として現代に受け継がれる 泡盛

 15世紀頃、琉球王国は中国のほか東南アジア、特にシャム(現在のタイ王国)との交易を盛んに行っていました。その当時、交易に従事していた人々が蒸留酒とその製造技術を琉球に持ち帰ったとされており、15世紀後半には泡盛作りが始まりました。この大交易時代にはインドの天竺酒、中国の白酒など、さまざまな蒸留酒が伝わりましたが、特に泡盛は琉球で文化として華開いたのです。

 「泡盛」の名称が初めて分権に登場するのは1671年のこと。尚貞王から薩摩藩を経て、4代将軍徳川家綱に献上された品物の目録に「泡盛」の記述がみられます。泡盛も焼酎の一種と位置づけられますが、将軍への献上時、日本に多種ある焼酎と区別する目的で薩摩藩が意図的にその名称を使ったともいわれます。

 17世紀には、泡盛の製造は首里王府の管理下にありました。王府の中には、そのための役所があり、泡盛は厳しい管理のもと、銭蔵に保管され、冊封使の接待の場で振る舞われるなど、御用酒として取り扱われていました。国賓をもてなす際にも使われたわけで、この時代、すでにその品質は非常に高いレベルに至っていたことがわかります。

 また、泡盛の大きな魅力のひとつは、年月をかけて熟成させることですばらしい古酒になることです。年代物の古酒に若い酒を注ぎ足して芳醇さを保つことができる「仕次」の文化が今でも各家庭に定着していて、祭礼や祝い事等において古酒が客に振る舞われます。

 

今回の旅で、一度だけ、せんベロの店に入りました。泡盛まさひろ を飲みました。

翌日、糸満市へ行くことにしました。

『泡盛まさひろギャラリーですか。バスで伺いたいのですが、どこの停留所で降りれば良いですか。』

「西崎二丁目で降りてください。20分ぐらいでつきます。お待ちしています。」

ところが、西崎二丁目から向かった先は、工場団地内でした。広大な土地にいろいろな建物があったんです。

『まさひろ酒造に行きたいんですが…。』

「だいぶ歩きますよ~。…。」

「そこの陸橋を越えた先です。…。」

・・・・・・(恐るべし、工業団地!)

「すぐそこですよ…。私はあまり泡盛は飲まないからな~。」

すぐ近くなのは感じ取れたのですが、目的地に着きません。1時間以上、歩いたでしょうか。

必死に探していると、先ほどの方が、車で私を見つけてくれ、「送りますよ。」とギャラリーまで案内してくれました。

『助かりました。ありがとうございます。』

 

一人のんびり、工場を見学していると、バスでいらした団体さん。とともに試飲することに…。

『こんなにたくさん、飲ませていただいて、申し訳ありません。』

みなさん! 泡盛まさひろ をよろしくお願いします。

 

琉球泡盛

タイ米と黒麹菌を使って作る蒸留酒。琉球王国時代には冊封使の饗宴や江戸幕府への献上品として、外交には欠かせない貴重品でした。今でも原材料や製法、貯蔵法などの点で他の蒸留酒とは一線を画す、沖縄独特のお酒です。3年以上寝かせた古酒も豊潤な味わいです。

首里城銭蔵跡

王国時代、首里城内にあった建物で、泡盛、油類、お金などを保管、管理していました。高床風の2階建だったと考えられていて、現在は平屋の休憩所になっています。

 

実は、オリオンビール工場の見学にも行こうと思い、調べたのですが…。すべて予約済み。

本日、4月1日から見学料500円です。