行かなければ…

2023年03月30日

江別を過ぎると、雪解けが進んだ田んぼで

旅立ちに備えてたくさんの白鳥が 落穂ひろい

2023.3.31で

廃線になる区間も…深川から増毛まで線路がつながっていましたが…。

さっそく電車に乗り

向かいました

石狩沼田駅

沼田の炭鉄港ストーリー

沼田町の石炭の歴史は1873(明治5)年にライマンが調査を行い炭鉱開発の基礎をつくったことから始まりました。その後開拓は1894(明治27)年、富山県人沼田喜三郎翁が郷里から18戸の移住を図ったのがはじまりです。1914(大正3)年、北龍村より分離し上北竜村と称し戸長役場を設置、1922(大正11)年沼田村と名前を改めました。1910(明治43)年に留萌港への石炭や木材、海産物等の輸送のため留萌本線がひかれ、1930(昭和5)年には、明治鉱業(株)が昭和炭鉱を、浅野雨竜炭鉱(株)が浅野炭鉱を開鉱しました。恵比島駅から同町内の昭和駅を結ぶ炭礦線も引かれ、1961(昭和43)年には九州鉱山(株)により太刀別炭礦も開鉱しました。

 しかし石炭から石油へのエネルギー転換が進んでいくと…。

~国内最古の小型蒸気機関車・クラウス15号蒸気機関車~……現在ほろしん温泉ほたる館前で一般公開されています

沼田喜三郎の開墾した沼田町をこの目で見ておきたかったのです

一直線に続く農道の先に

今年は例年以上に春の訪れが早いと言われていますが

田圃は一面雪に覆われています

北海道唯一の喧嘩あんどん

沼田町役場へ伺い、職員の方や、学芸員の方から沼田喜三郎の足跡や資料について聞くことができました 市立小樽図書館で調べてみます

石碑~残念ながら読むことはできませんでした

次に向かったのが、

3月31日で駅舎としての役目に幕を閉じる

とても食欲をそそるにおいに 大行列の中 待ちに待って

大 を頼んじゃいました

ずらりと並ぶ 旬の魚

羽幌産の甘えびにも魅かれましたが

揚げたてのかまぼこを購入

 

そして、今回どうしても見ておきたかった二つ目の場所へ

留萌線藤山駅~明治時代(м43竣工)に建てられて、そのままの姿で残っているそうです

ハーフティンバー様式~柱や梁などの骨組みを外にむき出しにし、その間に煉瓦や土、石を壁とする西洋木造建築の様式

駅を挟んで両側には

田圃が広がっていました ここが藤山農場だったのでしょう

~道央の田んぼの雪は解けていましたが、空知・留萌ではまだまだ先…そのような厳しい環境でも水稲を育てようと思ったのでした。~

~『私が知りたかったのは、どのようなルートで、この地までやってきたのでしょうか?』ということです。

確かに鉄道は、北海道開拓を内陸部へと推進しましたが、この当時は留萌港まで船でやってきて、此処の地へ入植したのではないでしょうか?いまだ雪の多いこの地へ。~

~沼田町から留萌までは、高速道路で向かいました。途中のトンネルの名前に!ビックリ!藤山西トンネル 藤山トンネル 藤山東トンネル と続いていたのでした。これも藤山要吉の功績なのでしょう。~

 

日本遺産「炭鉄港」の物語は、わずか150年という短期間で誕生・発展・成熟・最盛期・そして衰退を経験したという北海道ならではのドラマチックさに富んでいます。それは、日本が工業化社会の実現を目指した産業革命のストーリーであり、今日の豊かな暮らしを実現するためのプロセスを証明するものでもあります。

炭鉄港推進協議会~(事務局)北海道空知綜合振興局 地域創成部 地域政策課

086-8558 岩見沢市8条西5丁目

TEL 0126-20-0146

炭鉄港の資料もいただいたので、帰りは

「炭鉄港』が生んだ食と文化 

と、いうことで

に寄って

焼きたてを 持ち帰り