昨日は、まっさんの……

2023年06月21日

昨日

6月20日

は、

まっさんの

誕生日

鉄(くろがね)の馬と兵(つわもの)ども~蒸気乗務員回顧録)第14回~

常紋越えと「大雪」 石北線D51・C58北見機関区

常紋峠に急行「大雪」から派生したC58牽引の普通列車。

注目を浴びた石北本線の列車は北見機関区が受け持っている。

凍れる地のカマを操った男たちの証言をお届けしよう

 

 

題材・文●椎橋俊之

取材日・●2018年4月20日

取材協力●宮崎静男(元・遠軽機関区機関士)

 

 夜8時を過ぎて、身を刺す師走の寒気が網走駅を覆いはじめる。本格的な寒さは年明けからやってくるが、12月は一年でもっとも日が短いだけに、地の底が凍りつくような寒さは、早い日暮れとともに忍び寄ってくる。

 網走駅の側線に留置されていた急行「石北」の長い編成に灯りが入り、駅東端の機関車待機線を出たC58が編成の先頭、座席者スハつ44に連結される。

 札幌~網走間を結ぶ夜行列車の歴史は古い。そのルーツは1949(昭和24)年9月改正で設定された函館~網走間のロングラン普通列車(旭川~北見間は準急)翌年には準急区間が札幌まで延長され、1958(昭和33)年10月に「石北」の名称が与えられて503、504列車を名乗ることになった。荷物車を含む12両編成にはマロネロ38、ナハネ10が組み込まれたが(小樽~網走間)、函館~札幌間北見~網走間は普通列車の扱いだった。「石北」の小樽~旭川間をC62が牽くようになったのは1961(昭和33)年10月からである。…。

「冬は暖房の蒸気を送らなければなりません。蒸気は一両につき0.5㎏/㎤の圧力を客車に送ることになっていますから、11両編成なら5.5㎏/㎤ということになります。しかし、氷点下20度を割るようなシバれる夜になると、今夜は6㎏/㎤送ってくれなんて車掌がいってきますからね」と語るのは増山稔氏(昭和31年北見機関区就職)である。…。

明日からのDL化を前に、「大雪6号」を牽引するD51 734には日章旗と特製マークが取り付けられ、北見駅では乗務員に花束贈呈などが行われた。

花束を渡される左手前人物は最終蒸気牽引「大雪6号」に機関士乗務する増山稔さん。翌日、DL初日の急行を運転して北見に戻ってきている。北見1971年12月24日

…。

 池北線は貨物列車が2本設定されていて、そのうち1本は陸別で駐泊するダイヤが組まれていた。四方を山に囲まれた盆地の陸別は日本一寒い町として知られている。いままでの記録は1945(昭和20)年12月28日午前2時に記録した氷点下42℃。28日の朝、餅米を蒸かして臼に入れたところ、みるみる凍ってしまったというからただごとではない。

「夜食に買った缶詰を宿舎の寮で開けたら凍っていたということもありました。寝ていると夜中に木が裂ける音がしたものです」(吉井氏)

 木が裂けるのは内部の水分が膨張するためだ。凍結を避けるため機関車は車庫に入れ、陸別の駅員が保火して夜を明かす。

「朝、機関車を車庫から出そうとすると、制輪子が凍結して動輪の路面にくっついてしまっていることがあるのです。鉄棒でガンガン叩いて制輪子を剥がしてやっと出庫できる。やはり、陸別の寒さは尋常ではありませんでした。」(増山氏)

…。

 池北線の寒さは保線区員にも大きな負担だった。放っておくと霜柱で道床が20㎝も30㎝も凍上してしまうから、枕木とレールの間にパッキンを挟まなければならない。この地方は夏場は最高気温が35℃前後まで上がるから、保線区員は線路の膨張によって引き起こされる張り込み事故対策に忙殺される。安全運航の影に、文字通り、縁の下の力持ちたちのはたらきがあったのである。

 重荷を牽いてのきびしい峠越え、空転との戦い、極寒の勤務、道東の枢要拠点として君臨した北見機関区から最後の蒸気機関車、3両のC58が姿を消したのは1975(昭和50)年夏のことだった。

~発行所・イカロス出版~

 

今日2023年6月21日は、夏至。

まっさんの誕生日を祝い&昼の長さを満喫するためバーベキュー

おたる共栄食肉ジンギスカン・深沢精肉店ウィンナー・自家製春菊と行者ニンニク…魚介類です