令和5年度 歴史的建造物めぐり

2023年07月02日

当選しました

小樽運河は、明治時代の防波堤整備を始めとする港湾整備の歴史の中で、大正12年に完成し、昭和初期までの全盛とその後の衰退、運河保存運動を経て昭和61年に運河南側の半分を道路と遊歩道に埋め立てた現在の形に整備されました。その背景には時代に対応した建造物が建設され、現在でも市内に数多く残されており、小樽らしいまちなみを形成しています。今回、小樽運河100周年を迎えるにあたり、運河にゆかりのある歴史的建造物を見学します。

大正の小樽港、奥に北海製罐倉庫(株)

旧日本郵船(株)小樽支店前の輸出入倉庫と船入澗

運河を挟んで対峙する石造り倉庫群と第3倉庫

臨港線整備前の運河内に停留する小型船と艀

日時:令和5年7月1日(土)

講師:駒木定正氏(北海道職業能力開発大学校特別顧問)

担当:小樽市建設部新幹線・まちづくり推進室

Ⅰ.江戸末期~明治の変遷  ~手宮から有幌の海岸埋立て~

 江戸時代末からニシンの豊漁が続いた小樽には人々が集まり漁村として発展した。明治2年に札幌に開拓使が設置され、明治15年の鉄道の全線開通とこれに伴う港からの石炭の積出しによって、小樽は物流の拠点となり、港の発展に伴う港湾機能拡充のため大規模な埋立てが相次いで行われた。明治23年に色内・手宮地先の埋立てが完成し、明治25年に現在の港町と堺町に公共用船入澗が設置されると、営業倉庫、回漕店が建ち並び、明治30年には営業倉庫が149棟(うち石造倉庫101棟)に急増した。

埋立て造成前の海岸線(明治初期)

小樽倉庫前の船入(明治時代)

①旧小樽倉庫小樽市指定歴史的建造物 指定第13号

建築年:明治23~27年(1890~1894年)

構造 :木骨石造1階建、木骨煉瓦造2階建

所在地:色内2-1-20

 色内地先の埋立て直後に建てられた営業倉庫のひとつ。正面右手の倉庫が最初の建設で、増築を重ね2つの中庭を囲む大倉庫となりました。寄棟の瓦屋根にシャチホコを乗せた和洋折衷のデザインで木骨煉瓦造の事務所を中心に左右対称に展開し、全体として優雅な美しさをみせています。北側を博物館、中央を小樽百貨UNGA↑、南側を運河プラザとして活用されています。

Ⅱ.明治後半~昭和初期の変遷  ~運河竣工、堺町岸壁完成・有幌埋立て~

 樺太、欧州や本州間との日本海貿易の発展に伴い、港湾整備が進められ、明治41年に北防波堤、大正10年に南防波堤が完成した。また、明治時代より沿岸整備を埠頭式か運河式のどちらで行うかについて議論が続いていたが、廣井勇の意見により、水路を残し沖合を埋め立てる運河式で決着し、大正12年に小樽運河が完成、艀(はしけ)に荷を積み、港内の貨物船と運河沿いの倉庫を結ぶ小樽港独特の輸送態勢を整えた。こうした港湾整備は小樽の経済をさらに発展させ、中央と道内から金融機関が続々と進出するなど、北海道経済の中心となり、本州を本拠地とする建築家や組織の設計による最新技術を導入した建築が建ち並んだ。また、昭和初期には埠頭整備に向け、堺町・有幌の埋立て整備が行われた。

運河造成のために、沖合を埋立てる様子(大正時代)

艀に荷を積む様子 奥に北海製罐倉庫(株)(昭和初期)

②旧日本郵船(株)小樽支店  国指定重要文化財

建築年:明治39年(1906年)

構造 :石造2階建

所在地:色内3-7-8

 設計は工部大学校造家学科の第一期生、佐立七次郎です。近世ヨーロッパ復興様式の純石造建築で外観は2色の石を組み合わせ重厚なデザインに統一されています。当時建物の前面には専用の船入澗、輸出入倉庫があり、建物の裏側には鉄道が走るなど海運業としての施設が完備されていました。日本郵船は昭和29年まで営業し、同30年に市が譲り受け、同59年から3年間全面的な修理復原工事を行いました。現在は耐震改修を含めた2度目の復原工事を行っており、令和6年度に完工予定です。

③旧北海製罐倉庫(株)第3倉庫 小樽市指定歴史的建造物 指定第76号

建築年:大正13年(1924年)

構造 :鉄筋コンクリート造4階建

所在地:港町4-6

 小樽運河の東側埋立地に建ち並ぶ主な施設は大正10年代から昭和10年代にかけて建てられ、小樽の鉄筋コンクリート造では初期の建物です。第3倉庫は、建築当初から荷物を揚げ降ろしするためのエレベーターや製品を運河へ搬出するためのスパイラルシュートがあり、機能的な設計がされています。

 令和3年12月に市が所有者から無償譲渡を受け、現在、NPO法人OC+を中心に、今後の本格的な活用に向けての検討が行われています。

④旧通信電設浜ビル 小樽市指定歴史的建造物 指定第40号

建築年:昭和8年(1933年

構造 :鉄筋コンクリート造4階建

所在地:色内1-2-18

 石造倉庫が軒を重ねていた小樽運河沿いに、モダンな鉄筋コンクリートのビルディングとして建ちました。昭和初期の建築が装飾に富んでいたことを知るよい例です。建物の正面のデザインは、すべて左右対称になっていて、窓の縦枠はアーチを描き、4階までつながっています。玄関周りは花崗岩で飾り、出入り口の欄間は幾何学模様を描いています。玄関の両側に立つ半円の柱に外灯が組み込まれています。

 嶋谷汽船により建設され、3・4階に山下汽船が入り、後に石原裕次郎の父が勤務しました。

Ⅲ.昭和初期~昭和後期の変遷  ~臨港線計画による運河論争~

 戦後になると埠頭整備などにより、運河や艀は荷役の使命を終えると共に、ニシンの不漁、樺太の喪失、石炭需要の減少などにより小樽の経済は衰退し、運河周辺の木骨石造の倉庫群など建造物と共に取り残された。やがて交通渋滞緩和のための臨港線整備が運河を埋め立てる形で計画され、昭和47年には有幌の石造倉庫群が次々に解体された。このことで計画に対する危機感が高まり、埋め立てに反対する市民運動へ発展していった。

運河と小型船と艀(昭和50年代)

Ⅳ.昭和後期~現在の変遷  ~臨港線整備に伴う南運河埋立て~

 10年以上に及ぶ運河論争を経て、昭和61年に臨港線は南運河の幅を半分を埋め立てて、道路と運河沿いを散策路やポケットパークとする形で整備された。また港では勝納埠頭などの整備が進み、小樽港における貨物輸送の中心はフェリーが担うことになった。一方、運河と歴史的建造物は、その歴史的価値が見直され、歴史的建造物の多くは新たな用途として保存・活用されており、それらが織りなす歴史的まちなみは、市民の誇りとなっている。

運河クルーズ(令和3年)

サマーフェスティバル(令和4年)

午後1:00小樽市役所出発

午後4:30小樽市役所到着

現在の小樽港

旧日本郵船(株)小樽支店と運河公演

臨港線整備後の運河と第3倉庫

臨港線整備後の運河

小樽市建設部新幹線・まちづくり推進室 景観まちづくりグループの方々が作成してくださった貴重な資料とともに…