忍耐、努力と誠実 三箇勝次郎

2023年11月30日

商い自体が趣味のうち

寿原食品と並んで本道を代表する食品問屋、株式会社三箇商店の社長。『努力の積み重ねが今日を築いたといっても過言ではありません。人との争いごとをきらい、遊びごとはいっさいせず、勤勉努力型。常に前向きの姿勢で、新しい感性の持主…』とは、同業者で、しかも友人である村山喜美生寿原食品社長の語る三箇勝次郎評。

 資本金一千五百万円、九十四人の従業員で年間二十二億円の商いをするまでに育て上げた勝次郎の経営手腕は、さすが小樽商人の中にあっても抜群の光を放っている。

 明治十七年四月、富山は高岡市にうぶ声。四カ月、一家をあげて北海道旭川に渡った。渡道して十年長兄元次郎が食糧品卸し業三箇商店を設立、旭川の高等小学校を終えた勝次郎も、幼くしてその経営に参画した。

 大正十二年小樽に支店を開設。勝次郎がいっさいを任されるようになった。樺太、道南地区いっさいを受け持ち、持ち前の努力とセンスある経営ぶりで、着実に業績を伸ばした。そして昭和六年、兄元次郎のもとを離れて独立、小樽で三箇商店を創立した。資本金十万円、従業員三十人足らず。だが、樺太への食糧品積み出しに重点を置く商策が当たって、小樽でも扱い量一、二を争うほどに仕上げた。

 しかし順風満帆の日ばかりではなかった。統制になってから各食料統合経営会社のやくいんになってはいたが、仕事はほとんどなし。このため十指に余る傍系会社を設立、子飼いの社員たちを責任者にして経営に当たったが、終戦でこのほとんどが無一と化した。それは大部分が樺太に設けていたため、私財を投入してこのいち早い多角経営も、敗戦国となったばかりに失敗に終わった。

 裸同然となったが、二十三年末、シベリアから復員した長男一郎(現副社長)の応援を得て三箇商店の再興に全力を傾けたし、苦節を経て現在の実績を上げるまでに盛り返した。

 ‶忍耐努力〟と”誠実〟をいついかなるときでも心がけ、とくに同社事務所内には‶努力忍耐〟の額が三十年来このかた掲げられ、いまでは全社員の相ことばとさえなっている。

 無趣味というより、商い自体が趣味。仕事だけに全身全魂を注ぎ尽くし、仕事にかける情熱は、並みはずれて激しい。『血の通った商売』…三箇商店ののモットー…としている経営方針は、勝次郎の人そのものを如実に物語っている。

 

小樽経済 百年の百人

北海タイムス社編

昭和40年6月16日~昭和40年9月2日連載

この場所に三箇商店の建物が建っていましたが、解体してしまいました