なんとなく…

2023年12月28日

昨日12月27日

小樽運河ができ、100年

いただいた 小樽運河史

運河構築前の南浜(色内)船入澗 其一

運河構築前の南浜(色内)船入澗 其二

小樽運河成る(右)

運河荷役ー税関支署前

運河荷役ー製缶倉庫前

第一編 総説 七

 小樽運河の出現した大正十二年は、九月に関東未曽有の大地震があって憂愁のうちに暮れたが、翌大正十三年八月ー第一期埋立工事の竣工式が防波堤の完成祝賀(大正十年第二防波堤が第一防波堤ノ延長工事ト共ニ落成シタ)を兼ねて、折から第二埋立地に建った北海製缶の社屋を会場として盛大に挙行された。

 当時、小樽は市制(大正十一年八月)三年目を迎えて人口一二七五六一人。北海道第一の大都(大正七年の人口小樽一〇万六千・函館一〇万二千・札幌八万六千)として経済の絶頂にあり、その商圏は本道はもとより樺太・沿海州・カムチャッカに及んで石炭の年間供給量函館の六万九千トン、室蘭の三十七万トンに比し七十三万一千トンという抜群の数字を示していた。年間の入港船舶隻数また六千二百四十八と最高に達し、正に小樽の黄金時代ともいうべきものであった。

 左に完成祝賀の盛儀を偲ぶ記録の一端と、来樽した内務大臣若槻礼次郎(のちの首相)の祝辞を掲げて、運河の出現の記にかえる。

・・・。

執筆者 渡辺 悌之助

 

北海道拓殖銀行小樽支店 青山別邸(当時 高島屋デパートの建築費50万円 青山別邸は37万円をかけて造られたそうです)…

13歳の一原有徳が小樽にやって来ました

沼田喜三郎 永眠の年

 

当時の人間模様は、どうだったのでしょう?

渡辺兵四郎 77歳

藤山要吉  72歳

加藤忠五郎 67歳

野口吉次郎 67歳

高橋直治  67歳

板谷宮吉  66歳

稲垣益穂  65歳

廣井勇   62歳(稲垣益穂と廣井勇は高知県出身、面識はあったのでしょうか?)

金子元三郎 54歳

… 

 

(※年齢は、数えの年齢の場合もありますし、満年齢で記している場合もあります。)

 

『小樽運河ができた年、100年前。小樽で活躍された皆さんの年齢と、

私もほぼ同じ年齢なのが、なんとなくうれしいです。』