小樽雪あかりの路26

2024年02月10日

今日 オオワシが舞っていました

二羽

百年片思

作家の想像力は、小樽で色褪せずに輝きを放っている。

 

小林多喜二は、北海道の物流の拠点になっていた小樽を

「北海道の心臓のようである」と喩えた。当時の物流の歴史を知ると、これがなんと見事な比喩であるかがわかる。

 

石川啄木は、雨でぬかるんだ小樽の道路をあるき、

「天下の珍』と揶揄した。これは馬車が何度も往来し歩きにくくなったどうろを皮肉っているが

「これからも日本一の道路であって欲しい。」と続き、小樽の光と影を同時に捉えていることがわかる。

 

伊藤整は、嵐が過ぎ去った小樽の冬の夜、自宅の窓から覗いて見える雪景色から

「しづかな青い雪明り」をみつけた。

それが冬のイベント「小樽雪あかりの路」の由来にもなっている。

 

そして、もう一つ。

伊藤整の自伝的小説「若き詩人の肖像」で

2本の防波堤を「抱きしめるように守る両腕」と喩えた。

100年以上もこの町を守り続けた防波堤。その想いは、市民に届いているのだろうか。

世界に誇る、小樽の建造物

 横浜港や野蒜港で立て続けに防波堤建造を失敗していた時代、明治政府は小樽での防波堤建造を決定。廣井勇博士が選ばれた。

 廣井博士は、アメリカやドイツで実務経験があり、札幌農学校(現北海道大学)の教授としての学識も兼ね備えていた。セメントに火山灰を混ぜて強度を上げる方法や、ブロック同士が支え合う構造を採用するなど、海外の研究などを基にした革新的な手法を駆使。

 10年間の挑戦の末、日本初のコンクリート製外洋防波堤「北防波堤」を完成させた。この業績は日本の港湾技術の歴史を飛躍させるものとなり、廣井博士の斬新な手法は、国内外から注目を浴び、多くの後進が彼の手法を学んで発展させていった。

 小樽の北防波堤は単なる建築物以上の意味と価値を持ち、日本の近代化の象徴として称賛され、語り継がれている。

発行/テオプロジェクト(主宰:盛合将矢)

 

我が家から見た 北防波堤

 

2024.2.10(土)~17(土)

pm5:00~pm9:00

灯りの水面、今日だけの揺らめき、煌めきを…。

心温まる手づくりのあかり、ひとつづつ…。

小樽雪あかりの路26公式ガイドブック

そして

我が家でも

あかりを

灯しました

小樽雪あかりの海 

が 見えな~い😠