庶民の金融機関 土肥順太郎

2024年04月02日

質屋の全道組織作る

 昭和年代にはいって間もなく小樽質屋業組合長をしていた順太郎は、東京で開かれた全国質屋業大会に道代表として出席した。席上どういう内容の話をしたのかは知れないが『北海道にも大変な雄弁家がいるもんだ』という話が小樽まで聞えたという。

 順太郎は福井県三国町の出身。親類の者が小樽で質屋を営んでいたが、花園町東二で荒物商を開いていた土肥家の養子に迎えられた。数年後質屋業を始め世話好きなところから花園一、二丁目町会長に選ばれた。税務署調査委員、商工会議所議員にも選ばれた。

 古物商組合長を十年つとめた当時の組合にはクツの修理、古鉄集め、古着商、質屋など七百軒近くが加盟していた。『盗品を買うことは犯罪を助長するもので、絶対に買わないようにしなければいけない』というのが口ぐせで、質屋業組合の全道連合会をつくるときも札幌や岩見沢、旭川方面を奔走『犯罪を防ぎ、庶民の金融機関であらねばならぬ』と力説して回った。

 『商人としてよりも政治家でしたよ。山本厚三代議士の右腕として活躍した。市会議員には出なかったが、商工会議所議員などをしてね。子分の多い人で財産を残せなかった』当時の順太郎を知る市内稲穂町七ノ九工藤修三が語るように、順太郎は字自由民主党の昭和会と革新クラブのうち

小樽経済百年の百人㉗革新クラブに籍を置き、旗頭山本厚三の〇僚として熱弁をふるった。

 政治的な功績については知る人がいないためわからないが、土肥質店で使用人だった緑町二質店経営森豊は『世の中のことをよく学んで、自分の意見というものを考えていました。いつでしたか大臣が小樽にきたとき、陳情をひとつひとつ聞いて、それを克明にメモしているのをみて、人にたいしてはあれでなければいけないと私たちにいっていたのを覚えています。人の心を読んで話をする人でしたね』と順太郎のありし日を延べている。

北海タイムス社編

昭和40年7月