小樽市指定歴史的建造物第4号 遠藤又兵衛邸

2025年05月21日

『今日、公開中(2025.5.18~5.25)の遠藤又兵衛邸へ行ってきました。浸るためです。』

第8回小樽市都市景観賞受賞

―小樽市の街を飾る和洋折衷の邸宅-

遠藤又兵衛邸

〈遠藤又兵衛について〉

 小樽の街は、明治以降の北海道の開拓と共に、北海道の石炭・木材・農作物・水産物等が本州・樺太・世界に流通する貿易港として栄えました。その繁栄の中で開拓の夢を持った人々が上陸し、数々の事業を成功させました。

 その一人が海産物卸商で巨万の富を築いた遠藤又兵衛氏です。遠藤又兵衛氏は、羽後国(うごのくに/現秋田県)出身で、16歳に松前商人に奉公後、独立して行商されました。その時に静岡県の行商に認められて番頭となり、小樽に買い付けに来たのが小樽との出会いの始まりです。

 明治12年に小樽に定住して海産物商の本拠を構え、明治28年からは小樽商業会議所の発揮人の一人として運輸部長の重責を担い、まさに小樽発展の歴史と共に歩まれた商人と言えるでしょう。

 明治31年、港町に遠藤商店を商号登記しています。大正4年には手宮に曲万遠藤商店を設立し、共成や北海雑穀の役員も務めました。また、住吉神社の石垣や玉垣をすべて寄進された篤志家でもありました。

〈邸宅について〉

 邸宅は小樽港を望む高台にあり、明治35年に建立しています。

 [土地1281㎡(388坪)、建坪延べ766㎡]

 美しい庭園に囲まれ「小樽御殿」の名で知られる邸宅でした。遠藤又兵衛氏の財力を使って本州材を取り寄せ、釘を使わずに3年の歳月をかけて造られた和洋折衷の大豪邸です。

 遠藤又兵衛氏の死後に所有者が山本厚三氏(倉庫業を営んだ実業家。小樽商工会議所会頭、衆議院議員を務める)になり、その後、大正6年からは北海道炭礦汽船の社員寮として使用されていました。昭和39年に立正佼成会が小樽教会道場として使用をはじめ、広間は立正佼成会の会員が300人も収容できるほどの広さでありました。昭和59年に邸宅の老朽化による新道場の建築にあたり取り壊される予定でしたが、立正佼成会本部の協力を得て邸宅の正面部分(171㎡)の保存がなされ現在に至っています。裏手にあった広間や蔵を含む邸宅は無くなりましたが、現在の部分だけでもその当時の豪邸の貫禄を漂わせています。

 洋風建築の取入れは、明治開国から始まった当時の近代邸宅建築の流行からですが、遠藤邸も和風書院造に、ベィウインドウがついた白塗りの洋風下見板張りの八角形の洋室を玄関脇に張り出させている外観に特徴があります。白い洋風の壁に並んで書院造の漆喰白壁が続き、遠藤邸の美しさを演出しています。

 重厚な門や塀には、鷹など鬼瓦が飾られ、遠藤家の家紋である四菱が金色に輝いています。瓦屋根付きの簓子(ささらこ)塀の漆喰と板張りも美しく、建物・門・塀ともに調和のとれた建築物であるといえましょう。

 屋根は和瓦の間から、赤い煉瓦造りの煙突が突き出ています。この煙突は洋室にある暖炉と繫がっています。煉瓦は他にも右手側の塀に使用されています。この煉瓦塀には蔦(つた)が覆い、秋には見事な紅葉の衣を塀に着させます。

 邸内には、洋室の応接間と和室二間が当時のまま現存しております。応接間は大きな三面のベィウインドウが美しく部屋を飾っており、和室の天井は高く、格子柄の見事な無垢材が使用されています。

 昭和57年、社団法人 日本建築学会より全国に残る明治・大正・昭和戦前の建築物約13000棟にのぼるリストの中から、「姿形がよい」「特色ある風景を構成している」「地域の歴史をたどる上で大切である」等の理由により、建築学的に貴重であると思われる約2000棟の中の一つに選ばれました。また、昭和60年には小樽市指定歴史的建造物〈第4号〉に指定され、平成七年には、第8回小樽市都市景観賞を受賞しました。

【遠藤又兵衛邸データ】

■建築年:明治35年(1902年)

■構造:木造平屋建て

■建築当時の用途:邸宅

■設計:長倉増蔵

≪立正佼成会 小樽教会 遠藤又兵衛邸≫

この写真が撮られた場所は

三面のベィウインドがある

この場所だと思っていました

隣りは

二間の

和室

です

横山大観、筆谷等観が来樽した際、写真を撮った場所は

庭園を望む こちらの場所だったようです

『皆さん、草履を履いていました。』

『たっぷりと 余韻に浸ることができました。ありがとうございました。』