小樽で最も古い…①

2025年06月29日

日記帳のコピーをいただきました

中川喜一氏が書いた

当時の日記です(子孫の方がまとめたそうです)

明治35年(1902年)

小樽港からの石炭の積出しが91万㌧(明治15年(1882年)官営幌内鉄道ができた年は、9トンでした)

遠藤又兵衛邸完成

商業会議所会頭は高野源之助、区長は金子元三郎

私が最も尊敬する小樽市長・安達与五郎氏が小樽へやって来た年

鰊の漁獲高が

697,807t

令和5年(2023年)18,000t

令和6年(2024年)21,000㌧(年々少しずつ増えてきています)

北海道中をエネルギッシュに回ったことが伝わってくる日記でした

 

「稲垣益穂日誌」は、小樽の教育界で活躍した稲垣益穂(いながきますほ1858年~1935年)が書き記した日記資料です。土佐(今の高知県)出身で出身地や東北地方で訓導や視学という要職を経て、明治36年(1903年)、小樽区稲穂尋常高等学校(今の稲穂小学校)校長として着任以来亡くなるまで小樽で過ごしました。

 日記は小樽に移住する明治29年(1896年)から始まり亡くなる直前の昭和10年(1935年)まで約40年間ほぼ毎日欠かさず記録されています。

…。(小樽市教育委員会より)

 

『小樽に関する日誌としては稲垣益穂日誌の1年前に書かれているのです。』