真玉道
2026年04月14日

真玉道に関する書籍はありますか?
紹介していただいた資料によると
真玉道 まだまみち~〝首里城〟守礼門東南脇の石門を起点として、金城・識名をへて真玉湊(〝国場川の河口、〝那覇港)にいたる約4㎞の石畳道。真玉湊寄りの一部は現在の〝国道329号にあたる。真玉道の建設は尚真王代の大土木事業ぼ一つで、1522年(尚真46)の〈ま玉ミなとのミちつくり、はしわたし申候時のひのもん〉と書かれた〝真玉湊碑文に〝真玉橋架橋とともに記されている〈糸数兼治〉
図書館でも調べてきました
紹介していただいた資料によると
(三)真珠道竣工の歴史的意義~真珠道は、一五二二年に竣工し開通したこの真珠道の大土木工事の完了を記念して、首里城石門歓会門と守礼門の間、守礼門寄りに、真珠湊碑が建立された。
「真珠と真玉は、おなじで、那覇港の奥、国場川の川口が、真玉湊(港)で、川口をよぎって架けた橋を真玉橋とよんだ。」(『仲原善忠選集』中巻五〇頁)
真珠道は、「真珠湊碑」と命名したように国場川の川口=真玉湊(港)に橋を架け、道をつくることとくに川幅の広い国場川に橋を架けることは、当時もっとも大きな土木工事であった。
仲原善忠氏は、真珠道をつくった目的を、「首里城正門から、真玉橋にいたるいわゆる真玉路を作ったのも、白の守備兵の一部を、迅速に送るのが主目的であった」とされる(前掲同書五一一頁)。
当時、首里城内には三番の守備兵があり、「一番がまた三隊にわかれ、一隊が約四十(人)内外だから一番は約百二十人。三隊をすべる人がせんどう(船頭の意)その下に数人の里主たち、次に各隊一人の筑殿(後世筑登之)(由来記に属官とある)その下に三十人ばかりの家来赤頭とよぶ軽輩たちがいた。」とされ、「いざという時、守備三隊の中の一隊は、この路を通り橋をわたり、東部島尻の勢もこの橋をわたり(小禄方面)西部島尻の勢と合し、垣花に集合」させ、那覇港南岸の外敵に対応することが、その主要な目的であったといわれるが、同時に、「豊見城と、付近一帯の水源を外敵から保護する」ことも、掛橋の、もう一つの目的であったようだ(前掲同書五一一~五一二頁)。
浮島といわれた那覇は、飲料水に適する水がなく、住民は天水にたよっていた。したがって、旱魃がつづくと、那覇の住民は飲料水に苦しんだそこで飲料水を那覇港と国場川の川口の間に求めた。落平樋川がそれである。
仲原善忠氏は、「断崖をうがち、湧出する清水を桶で導いたのがいわゆる樋川(ひかわ→ひーぢゃー)で、この水を伝馬船につんだ大樽に受け、町に運び…

2025.3.19 真玉道を反対方向(真玉橋から首里城へ)から探検してみようと、出かけました

日本最古の骨が発見された場所

初めは順調に
進んで

いましたが
途中から、
通る人に道を尋ね
迷いに迷って
とうとう
豊見城市にあるこちらの酒蔵
に来て試飲し
土産の泡盛を買ってしまいました。
上の☆印に行こうと思ったんですが、下の☆印についてしまったんです。180度道をまちがえたんです。恐るべし真玉道!
〝首里城〝守礼門東南脇にある石門
今日 UCC Smaile Festa 2026
に
行って
きました
そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
E-mail:qqhx3xq9k@circus.ocn.ne.jp
営業時間:10:30~21:30
定休日:月曜日
