若林硝子店

2026年04月30日

70年の歴史とともに

(株)若林商店

 JR南小樽駅からもう一本、東方、海側の角地に大正時代より七十年、いまなお幾多の風雪に耐え、毅然と構えている木造店舗二階建ての家があります株式会社、若林商店(代表取締役、若林省一)(住吉町九―三)でガラス、アルミ建材、プラスチック、アルミサッシが主たる扱い商品、大正十二年十一月に先代の若林丹治さんがガラス販売業を創業され、建築業者は現地より数軒下にあった大常(ダイツネ)・竹内組で工事期間約四ヶ月で当時市内でも極めて珍しいトタン張り四方屋根づくりは近所の人々からハイカラね、と評判が良かったそうです。…。

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語り継がれる町 おたる 第2号

1993年

道新小樽販売所出版会

中 一夫 ほか編

 

おたる坂まち散歩

小樽市広報広聴課著

2006年出版

おたる坂まち散歩 第26話

赤坂 前編 小樽港とともに

 南小樽駅から海の方角に少し歩くと、道は左右の下り坂に分かれます。左は三本木急坂、右は山ノ上の坂です。この交差点に立って海を眺めると実はもう一つの急坂が足元から下っているのに気が付きます。これが赤坂です。この近辺の土の色が赤かったことが名前の由来と言われています。

 坂の下の臨港線から坂のある斜面を見上げると、まるで海岸のがけのように見えます。昔は赤坂のすぐ下が海岸でした。臨港線のある場所は埋め立てによって出来た土地だったのです。

 赤坂の上の交差点の角に創業明治四十二年の若林硝子店があります。ご主人の若林喜次(よしじ)さん(87)に赤坂にまつわる昔の話を伺いました。

 若林さんは、当時山ノ上町と呼ばれた現在地で大正五年に生まれました。子どものころは、夏はふんどし一つで赤坂を下り、海岸でウニやアワビをとって遊びました。冬は坂の途中にジャンプ台をこしらえ、仲間たちと競ってスキージャンプに興じたそうです。海岸線には荷馬車が通る細い道がありました。ときには勢い余って、スキーを履いたまま、荷馬車の下に滑り込んでしまうこともあったと言います。

 当時、坂の下の右手に、高橋直治の豆撰工場(豆類のえり分け作業場)がありました。高橋直治は、第一次大戦による品不足で高騰した豆類を欧州に輸出し、巨利を得て「小豆将軍」と呼ばれた商人です。たくさんの女子工員が、工場への行き来に赤坂を通っていたのを若林さんは昨日のことのように覚えています。

 また、坂の下の左には、インチ材と呼ばれた道産ナラ材を扱う高桑という材木商がありました。インチ材は小樽港の欧州への主力輸出品でした。

 赤坂の下の海岸が埋め立てられたのは、昭和六年ころ。埋め立て用の土砂は、住吉神社の上の山を崩してトロッコで運びました。そのために神社脇の坂から国道五号を陸橋で越え、量徳小の前を通って赤坂の下までレールが敷かれました。土砂を積んだトロッコが何台も行き来したそうです。

 赤坂の上に立って小樽港を望むと、正面には赤と白の灯台が、そして左手には、今年設置されたコンテナ用ガントリークレーンが目に飛び込んできます。赤坂は、時代とともに姿を変えてきた港の変遷を静かに見守っているかのようです。

取材協力・若林硝子店 若林喜次さん

 

赤坂

三本木急坂

山ノ上の坂

 

 

南小樽駅の桜も見頃です

明日 

5月1日(金)openします。