日本遺産を食で巡る旅。炭鉄港

2026年05月22日

当時の繁栄の足跡は、空知、小樽、室蘭など各地に、見る者を圧倒する本物の産業景観として今でも数多く残っている。

日本遺産 炭鉄港 の歴史

始まりは江戸末期に富国強兵・殖産興業の推進、北の守りを重視した島津斉彬の構想と、それを引き継いだ薩摩藩出身の官吏の影響が大きい。彼らが雇った地質学者ライマンの調査により、空知に良質な石炭が豊富に埋蔵していることが分かり、1879年に官営幌内炭鉱(三笠市)が開鉱。3年後にはその石炭を運ぶため、小樽~幌内間に鉄道が敷かれるなど、一大国家プロジェクトとして、「炭鉄港」の物語はスタートした。炭鉱と鉄道は、後に北海道炭礦鉄道会社に払い下げられ、室蘭にも鉄道が延伸。室蘭は小樽に並ぶ石炭積出港となった。その後、鉄道は再国有化。北炭は売却資金をもとに、空知に石炭を使った鉄鋼業を操業。室蘭は鉄の街へと変貌を遂げた。小樽は第一次世界大戦を契機に道産品の輸出港として発展。空知の炭鉱、室蘭の鉄鋼も、二度の対戦と戦後復興を支えるエネルギーの供給源として大躍進した。空知の石炭、室蘭の製鋼・製鉄、小樽の港、そしてこの三都をつないだ鉄道網。日本近代化のストーリーの中で、「炭鉄港」は倍速で独自の発展と遂げ〝北の産業革命〟というサブストーリーだ。

再び注目を集める 炭鉄港

江戸末期、日本海沿岸のニシン漁を礎に商業集積が見られるようになった小樽。明治政府が手宮(小樽)に海官所を開設後は北前船の寄港地となり、函館と比肩する商港への歩みを開始した。明治12年、幌内炭鉱(三笠)で採炭した石炭を小樽港から積み出すため、手宮~幌内間に幌内鉄道が開通。小樽は石炭のほか農作物の本州方面への積み出しと、札幌などの内陸部への物資輸送の役割を担い、一気に発展した。その後、札幌農学校出身の廣井勇氏の指揮によって、明治30年から、11年もの歳月をかけ全長1289mの北防波堤が完成。近代的な小樽港への礎が築かれた。さらに南防波堤の新築など、最新技術により整備された小樽港は、大正~昭和初期にかけヨーロッパ、南樺太、中国北東部との貿易が盛んになり、国際貿易港として発展。銀行、商社が集まり「北の商都」として街は大いににぎわった。

 

炭鉄港めしの中から

明日23日日(土)と24日(日)

喫茶ポタルにて

美唄焼き鳥

室蘭やきとり

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