常に第一線の勉強 高山隆行
2026年08月14日

信用で年商17億
『みんなが飢えと戦っていた。恐ろしい姿でしたよ。いま思うと感慨無量ですな』
終戦のどさくさ物資の欠乏は日を追ってつのり腐敗した世の中では犯罪がちまたにあふれた。そのころ隆行は国防服に戦闘帽、足にはゲートルをまいて満員列車の通路にうずくまっていた。にぎりめしのはいったリュックサックは背負ったままだった。
繊維業界の極度の品不足で、一㌦二百円の生地が四百円もヤミ値で流れ、仕入れは容易なことではなかった。しかし大阪方面の製造元の会社は無担保で大量の生地を回してくれた。それは隆行の残した実績が認められたもので、このときほど商人は信用がたいせつだと思ったことはないという。
『約束した商品は責任を持ってはんばいする。損をしても売れ残ったものは戻さない。支払いは約束通りの日にする。これを守ったことが戦後の立ち上がりを早めたと思うのですよ。損をしても仕入れ先に迷惑をかけない。このため常に第一線を知っていなければならない。消費者がどんなものを必要としている課、隆行はいまも欠かさずデパートや小売店にでかけて自分の目で確かめる。それが自信を持った仕入れにつながるのだ。』
隆行は明治三十一年一月富山県井波町の農家に生まれた。井波町の高等小学校に学んでいたころ、同郷の出身で小樽市内の寿原小物店(現在の寿原産業)で、」支配人をしていた須川という人がい波を訪れ、知人だった隆行の両親を通じて、隆行に小樽にこないかと誘った。大正二年三月のことで来樽した隆行はその小間物店で十五年間、一生懸命働いた。
独立を許された隆行は相生町に一軒借りると二人の使用人を使ってモスリンの卸しを始めた。
『商いにはマージンを大きくして少量売るのと薄利多売の二つがあるのですが、私は後の方を選びました。マージンを大きくすると合理化をしにくいし、どうしてもあぐらをかくようになるのですよ』寿原小物店でたたき込まれた信用第一を得るために隆行は、仕入れ先の支払いは必ず守り、売れない商品を戻すことはなかった。
統制時代、、いったん店をしめたが敗戦とともに立ち上がった。早いもので二十年になろうとしているが、お得意先、仕入れ先、金融機関、この三つに輪に支えられた三ツ輪商事は東京、大阪、名古屋に支店を置き、道内二百五十軒のお得意さんを持ち、年商十七億円を突破する総合繊維問屋に発展した。
隆行を知る人たちは〝堅実派の人ですよ〟とか〝あの人は先を見ている〟などと評するが、『重労働の農業は成功する見込みがない、商人は手腕と力量でどこまでも伸びれる。そこに生きがいを感じた』高等小学校までの四㌔のいなか道を歩きながら描いた、子供のころの夢〝日本一の商人〟になるための努力、隆行からこの二つの文字を取ったら何も残らないだろう。
~小樽経済百年の百人
北海タイムス社編
s40年6月16日~s40年9月2日連載
そば会席 小笠原
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