いまも第一線に 堀越一三

2026年08月24日

かん詰め業界の元老

 平塚常次郎、故人とはなったが高橋達之介とともにわが国かん詰め業界の元老として、いまも第一線で活躍している。

 『国も同じ、中学も四年先輩だというばかりでなく、仕事には、人一倍熱心で、人間的に丸味をおび、非常にできた人。それだけに人を見る目も確実。東木の手取社長などもよく若くしてしっかりしている人とほめていた…』とは、同郷人で親友の間柄、北海道中央バス専務、杉江商店社長杉江猛のことば。また社会福祉法人小村育成院長及川芳蔵も『温厚篤実な紳士。立派な人です』とほめちぎる堀越一三は、人も知る北海製罐社長。

 明治三十年四月、茨城県下の農家に生まれた。幼きころは生活的に豊かではなかった。大正九年春、水産講習所製造科を卒業。すぐ東洋製罐に入社、かん詰め業界に足を踏み入れた。そして昭和十四年、企業統合で設立された東洋製罐株式会社の取締役に推され、第二次大戦が終わった翌年、小樽工場長として赴任してきた。

 二十五年には統合された東洋製罐が過度経済力集中排除法によって東洋製罐と分離、堤清六とともに北海製罐を設立、自ら専務取締役として着任するいっぽう、東洋交易を設立、社長になった。このあと北海製罐では副社長、社長と進んで日本罐詰検査協会や北海道経営者協会など、この間数多くこなした。

 数字にめっぽう強く、絶えずその数字を基盤にして物をいったり考えたりする慣習の人でもある。とくに三、四年前、一度に出した数字をそっくりそのままおぼえていて、社員の目を白黒させたこともあった。

 また新製品の開発には、ことのほか熱心。『文明のていどが上がることによって、われわれの業界は伸びる』を至上として同社はこれ前進あるのみ。二十六年には手稲町に広大な農場を確保、ここに罐詰研究所を設立、スイートコーンのかん詰めの普及に乗り出した。各農家にも、アメリカから取り寄せた優良品種を安くあっせん、農民たちにスイートコーン生産を呼びかけているほか、十年前から洞爺湖温泉にモモの木を移植、この量産化を待っている。

 これまでどの社も取り上げていた水産物は文字どおりの水物、豊、凶漁がはっきりすることによってコストも違ってくる。コストの安定を図ろうと考えだしたのが、陸上物を原料としたかん詰め。とくに野菜を中心として研究を進め、事業の安定化を図っている。

 百五十種類、年間九百万箱を生産、日本の代表的なかん詰めメーカーに育て上げたのは、技術畑出身とはいえ、いかにも堀越一三のたゆまぬ努力と研究熱心があったからにほかならない。

 

小樽経済百年の百人

北海タイムス社編

昭和四十年六月十六日~昭和四十年九月二日連載