顔に苦労を刻む 平田真一

2026年08月25日

宿願は預金高百億円

 小樽市稲穂町に小樽信用金庫の本店を構え、高島、手宮、長橋、緑、入船、銭函、手稲、西野、札幌と九支店を有し、従業員数百八十人、四十六億円の預金高と小樽一の中小企業者の金融機関だ。この総元締めである真一はすでに七十歳だが、壮健で年齢を思わせないファイトマン。『私の代で預金高を百億円台にし、利率を市中銀行並みに下げて利用者の皆さんのお役に立ちたい。それには今後札幌の業績を上げなければ…』と抱負を語る真一の顔に同金庫にかける希望でいっぱい。しかし、今日の小樽信用金庫を育てるまでは『まったくいばらの道だった』と述懐する。新一の顔のシワのはその苦労がいっぱい刻み込まれている。

 新一はもともと金融機関にいたのではない。小樽新聞の経済記者として米相場を担当、全国の米屋にその名を知られていたという花形記者だった。『私は決して人の悪口を書かなかった』と本人がいうほど紳士的な記者だった。その後帯広支局長を勤めたが、あまりの寒さに音を上げているとき『小樽信用組合(信金の前身)を再建してほしい』と林松蔵(二代目理事長)や竹田助太郎(三代目理事長)が懇請にきた。

 当時の渡辺帯広市長(元小樽市助役)は『信用組合には手こずった。あそこに入社するのはやめたほうがいい』と忠告したが、しんいちはこれを聞かず、家族会議を開いて『再建すれば自分の企業、これを機会に小樽実業界に入りたい』

と決意を述べ、二十年間の記者生活に別れを告げた。

 ところが小樽信用組合どころか不信用組合と悪口をいわれるほどの金融機関。当時で八万円の負債を四銀行に背負い、市の支払い保証二十万円を得てやっと立ち上がろうとしていたときだった。このためすでに預金を食っているというひどいものだった。『これではいかん』と、預金を獲得してきたものには報奨金をだし、職員の勤労意欲を盛り立て預金増強にあたった。この時静子夫人も足を棒にして預金の勧誘に飛び回り夫を助けた。

 ここに努力が実を結び、三年後には間借り生活から、駅前通りに進出。また三分の配当をだした。これが大きな信用を得ることとなり、その後の業績は上昇の一途をたどった。真一は『今日小樽信用金庫があるのも小樽市のおかげ、このため十年ほど前から奨学資金として寄付、人材の育成に使っていただいている』といまでもこの行為を続けているし、一昨年は創業四十年を記念して百万円を市に寄付するなど感謝の念に燃えている。

 現在、五千五百人の会員を持つ中小企業の金融機関だが、ことしからさらに飛躍しようと、本展と各支店に『ひまわり会』を組織、利用強化にあたるいっぽう、職員の奥さんたちも『婦美会』という組織を結成、預金増強に側面援助するなど〝協同体〟意欲に燃え真一に協力『百億円預金達成、新店舗建設』の目標に突進しているが、こんな強力なバックを持った真一はしあわせな実業家といえるだろう。

 

小樽経済百年の百人

北海タイムス社編

昭和四十年六月十六日~昭和四十年九月二日連載