見習で苦労 坂口栄之助

2026年09月12日

年間数十億円動かす

『事業の繁栄は時代の流れに合わしてこそ拡大する…』『仕事に従事しているときはその仕事に三味(禅宗で無我の境地のことをいう)にはいってこそ能率があがる…』栄之助は自分自身にいいきかせまた社員にたいしても」口ぐせのように説く。

 大正九年十二月二十八日、初代新宮商行社長坂口茂次郎の二男として稲穂町で恵まれた環境の中にうぶ声をあげた。なに不自由なく成長した栄之助は、小樽中学校、小樽高商へと進んだ。

 栄之助は召集されて軍隊生活を続けたが終戦後の昭和二十一年父の経営する新宮商行に入社、仕事がきびしかった茂次郎の方針で家業を継ぐ以上は、木材の仕事に明るくなくてはいかん。ということで銭函工場へ見習いに出た。次いで中頓別、江差、白糠などの造材現場も回り、従業員の苦労を実際に味わってきた。

 父茂次郎がなくなって昭和三十三年、二代目社長に就任した栄之助は、これからは造材にせよ、農業にせよ、機械化の充実を図らなければいけないことに着眼、先代時代から輸入していた林業機械、農業機械をさらにふやし、チェーンやトラクターなどすぐれた機械の輸入に力を入れた。その機械も自分の造材現場で実際に使ってみたうえで、これはすばらしいというものに力を入れ、現在ではロサンゼルス〇ッカラ社の林業機械をはじめ、モーターボート、トラクターなど年間二十億円も輸入している。一方輸出商品としてはインチ材、合板はヨーロッパ大陸などに十億円輸出しており小樽の経済を動かしている人物といっても過言ではない。

 また小樽を本社に東京、大阪、福岡に支店、古沢別、美幌、釧路、銭函、東京、盛岡、郡山に工場を持ち、約七百人の従業員が造材、製造、機械のセールスに当たっており、栄之助の動かす金は数十億円にのぼり小樽有数の経済人の折り紙がつけられている。

 栄之助は『林業機械に力を入れているのも、私が実際に若いとき造材現場にはいって苦労してきたからです。せめても造材夫の人たちに楽をしてもらおうと、私の社で実際に使って実験したうえで、作業に当たっている人たちに使ってもらっている…』と真剣な表情で語る。

 栄之助はまだ四十四歳という若さときっすいの小樽っ子でもあり、今後いっそう小樽の発展に努力していくことであろう。

(敬称略)

 

小樽経済百年の百人

北海タイムス社編

昭和四十年六月十六日~昭和四十年九月二日連載