小樽で最も古い…⑨

2026年10月22日

 

十一月

十日 本日晴天

午後四時出帆佐倉丸にて福田君と三上君と共に帰国の為函館に向かう。すでに本船の切符売切れの為中等にて五円を支払う海にして畳の上に居るが如し

十一日 本日晴天 午後〇時函館着マルワ旅館二泊るハンセン函館きくも切符売切れにて己を得ず。

そのまま横海に通いし切符買い求七円也

本日末広町小山富蔵方に至り醬油代のうち百五十円也請求する百十三銀行渡り小切手なり

夕方より三人連れにて公園その他見物せり

本日弁天町船山虎蔵方至り横山〇問い合わせし並十七銭一寸豊川町今與作方にて問い合わせし処十六銭なりと五百注文

十二日 本日曇晴

本日午後の乗込に付日中見物す

十三日 午前四時当地出帆海上泊

午後五時頃岬灯台回転燈判明す

十四日

午前二時頃萩の浜に入港す。六時頃出帆す。貝〇名産なり

十五日

正午十二時横浜港入港港外にて病気〇す入港上陸上州屋に投ず午後六時急行にて平沼より乗車す

十六日 本日雨天

午前七時に彦根着芹橋町石橋宅へ帰るこれより酒父様方へ伺うところ父上病気の由真に新町にて問い合わせし処さる七日蔵修繕中誤って梯子より落ち脊髄に怪我し沼波杉本先生方へ入院の由に付直ちに見まう。追々快復さまなり

十七日 曇天

午前中家に午後四時頃より久徳に至り久徳より彦根新町に立ち寄り沼波に行く。

十八日 雨天

午前昨夜より沼波九時までに新町に至り万頭依頼。町 方安産に付見舞い帰途油紙二枚買い求め沼波より父上に渡し帰りたり

十九日 午前雨天午後晴天

朝彦根新町に至り新町より喜三郎様と共に病院に至る見舞いを依頼の午後三時〇宅別院見舞いせり

二十一日 本日晴天

朝より蔵修繕手伝いせり

宮城県石巻市に荻浜(おぎのはま)港があります 明治時代汽船の定期航路になっていました もしかして…

 

※参考事項

♧彦根駅

1889年(明治22年)7月1日

現在の東海道線の駅が、関ヶ原駅、馬場駅(現在の膳所駅)間の開通と同時に開業。旅客貨物の取り扱いを開始。

 

わたしも

市立小樽図書館で調べてみましたが

石橋彦三郎、および石橋商店に関する記述はありますが

中川喜一氏に関する記述はありませんでした

北見市立図書館に問い合わせてみたところ

石油も扱っていたことがわかりました

恩賜財團 済生會寄附者芳名錄(大正三年六月三十日現在)北海道

○印が小樽

海運と鉄道網で北海道が急速に開拓されていったのでしょう

 

『宗谷地方と空知管内をエネルギッシュに回ったことが分かる日記でした。空知管内の紅葉は心に残ったのではないでしょうか…。』

 

(おしまい)