新たな疑問

2014年08月06日

 「歴史的建造物の実態調査(1992年)から」を見ていたら

CIMG4388現在地で造っている北の誉の工場のほとんどが  丸ヨ 石橋商店醤油工場の建物だ‼

 

 

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「日本の醤油御三家のひとつ、丸ヨ石橋商店のその後は?」

気になったので、調べてみました。

 

明治30年(1897)、吉次郎は稲穂町に店舗を新築移転。丸ヨ石橋商店から独立し、一本立ちします。しかし、暖簾分けにあたって吉次郎は、「同じ醤油・味噌では、恩義のある石橋のご主人様に申し訳ない。」と、新しい事業を考えていました。この頃、小樽は、急速に栄え、人口は年々増加。人が増えれば、、必然的に日本酒の需要が増えます。しかし、内地から入ってくる酒は一般庶民にとっては高嶺の花。かつての吉次郎がそうであったように、最下層の人々にはとても手に入るものではありませんでした。「そうだ、酒だ。この小樽の水を使って、多くの人々に喜ばれる酒、生活に負担をかけない値段で、日々の暮らしの潤いとなる酒を造ろう。」吉次郎はこう考えたのでしょう、地酒醸造に着手することを決意します。これには、「西の神戸、東の小樽」とまでいわれた小樽の水の良さ、そして丸ヨ石橋商店時代から、この水で培った醸造技術が大いに生かされたことは言うまでもありません。そして4年(4回)にわたる試験醸造を繰り返し、明治34年(1901)、最初の酒を醸造することに成功します。

(北の誉造りミュージアム酒泉館~北の誉が誕生するまで~より)

 

石橋彦三郎 1855~

彦根生まれ

1875年(明治8年)に北海道に渡り小樽色内町の父の店で呉服問屋を始める。やがて醤油醸造をはじめ色内の呉服店をたたんで奥沢に蔵を立てて醤油造造業に専念する。「丸ヨ石橋商店」は、野田のキッコーマン、上州のキッコーショウと並ぶ日本の醤油御三家の一つに数えられるに至る。

 石橋はまた稲の品種改良に力を入れ、寒い北海道でも実る稲の栽培に成功し、上川郡雨粉(現 旭川)に丸ヨ農場を開設。

 郷里の彦根に帰り、1917年(大正6年)63歳で彦根町長になり、町の財政立て直しに努力した。

 

石橋家の邸宅や石蔵は彦根町に寄贈されました。

そして、平成24年に国の有形文化財(建造物)に登録されたようです。

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分かったのは、ここまでです。

 

~北の誉が誕生するまで~ にこんな記述がありました。

『明治23年(1890年)9月 故郷を離れて4年目に 丸ヨ野口商店 が誕生しました。そして翌年、金沢へ晴れて帰省する吉次郎に「実家の借金をすべて返してこい。独り者の義母も連れてきてはどうか。」と、彦三郎は百五十円の大金を渡します。その計らいと恩情に男泣きする吉次郎はこれ以後、辛抱の大切さと感謝の心を忘れずに”報恩と慈愛”の人生を貫くのです。』

 

恩人である石橋彦三郎が滋賀県彦根町に帰る際、どんなドラマがあったか想像し難くないでしょう。

 

 

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店では、北の誉 純米 生酒 を冷やして出しています。