実態調査(1992年)から その3~二次調査 木骨石造

2014年08月27日

1-4-2:二次調査の結果

建築年

二次調査対象を建築年で見ると、江戸期3棟、明治期117棟、大正期158棟、昭和期180棟、不明50棟であり、町ごとの棟数は表1-4-1のとおりである。この調査で江戸期の建築が確認できたことは、一つの成果と言える。2棟は神社本殿であり、忍路の津古丹稲荷神社(嘉永2=1849年)と祝津の恵美須神社(文永3=1863年)である。後志の江戸後期の神社本殿は、泊稲荷神社(文久2年)と積丹の神威神社(天保10年=1839年、明治3年説あり)があるだけで、北海道の文化財としても貴重な遺構と言える。

 明治期の建築の分布は、色内(29棟)、奥沢(11棟)、入船(10棟)に多くみられる。これらを旧用途でみると、色内では倉庫と蔵が16棟あり、他は商店と銀行、住宅である。奥沢は北の誉酒造(株)の倉庫が8棟を占め、入船は商店と住宅が6棟である。

 大正期の特徴は住宅が多いことであり、分布も富岡(19棟)、花園(14棟)、緑(11棟)の住宅地に集中している。

構造

 二次調査の対象建築の構造(表1-4-2)は、木造が圧倒的に多く全体の70%(363棟)を占めている。次いで、木骨石造(木造骨組みの外壁に石を積む構造)79棟、鉄筋コンクリート造(RC造)24棟である。石造と煉瓦造は、意外と少なく8棟と9棟であり、土蔵造は6棟であった。また、異なる構造を組み合わせた混構造が数棟確認できた。

構造は、時代によって変化していることがわかる。それを具体的に小樽発祥の地である南小樽地区と中心市街地の色内、稲穂にある商店、銀行、事務所の建築で見てみよう。(表1-4-3)

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 木骨石造は、明治20年代から明治末頃までに建ち、主要な商店、事務所に採用している。建築の特徴にいくつか特徴があり、2階建て、切妻屋根、瓦葺き、平入り、両袖にうだつを建てる形式である。また、実測調査によって、小屋組に洋風のトラス構造を用いたものが数棟確認できた。この構造の代表例を挙げると、堺町のCasual Restaurant楽(旧金子元三郎商店、明治20年)、住吉町の田中商店(明治初頃)、色内のアリババ・コレクション(旧梅屋商店、明治39年)などがある。外壁を石張りにした目的の一つは防火であったが、モルタル塗りが普及し、この構造はしだいに衰退した。

 

 

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 住吉町の田中商店はすぐ近くに3軒ありました。

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DVC00072.JPGその

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DVC00068.JPGその

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『悩みました。近くの老舗に尋ねました。~「明治から営業している店がそこだよ。」と教えてくれたのは、 その2 の店でした。

その3も歴史がありそうです。』

翌日、再度調べてみると、

DVC00014.JPGDVC00015.JPG田中商店のあった場所には、建物は、もうありませんでした。

 

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今日はこのほかにも9か所、探してみました。

分かったことは、

○町名までわかっていても現場までたどり着くには、相当の内なるエネルギーが必要だ。~同じ場所を何度も行ったり来たりするからです。

○近くに同じような歴史ある建物があり、悩むことが多いですし、現在の名前がさらに変わっていることも。

○「ここから町名が変わるんだと、新たに町が拓けたときのイメージができる。」ということです。

○銀行の方、観光協会の方、そして地元の方や老舗の方などの協力が必要でした。みなさん、親身になって相談に乗ってくれました。

 

くたくたの五時間でした。