土木は面白い Ⅴol1   完結 

2014年11月02日

小樽港北防波堤と広井勇博士

広井勇博士という人を知っていますか?

時代背景

広井勇博士と小樽

…これは日本初のコンクリート製長大防波堤であり、100年の荒波に耐えて今も当時のまま使われています。

…。

 

百年試験

 北海道開発局の小樽港湾建設事務所に昔の建設写真やコンクリートの試験機などが展示されています。それらを使って広井勇博士は防波堤に使うコンクリートの試供体を六万個以上作りました。その経年変化を確認する耐久性試験は現在でも継続されており、「百年試験」と呼ばれて世界中のコンクリート技術者から注目を集めています。

 100年目はもう過ぎましたが、まだかなりの量が残っており、これからも継続して試験が行われるということです。このように長い時間の経年変化までも確かめようということには、小樽港の安全を長く検証してほしいという広井勇博士の願いが込められています。そして、その土木構造物は一世紀以上経た今も小樽の港を守っています。

 

広井勇博士と土木工学

 憲法十二条に「・・・公共の福祉のためには、(国民は)これを利用する責任も負っている」というくだりがあります。昨今、公共事業が真に国民に役立っているのかが問われていますが、市民のためにある土木構造物や施設の価値が一般の話題に上ることは多くありません。百年の荒波に耐えて人々の生活や安全を保ち続けている小樽北防波堤には、後世を見据えた土木技術者の使命感がありました。広井勇博士はこういっています。

 「もし工学が唯に人生を煩雑(はんざつ)にするのみのものならば、何の意味もない。工学によって数日を要するところを数時間の距離に短縮し、一日の労役を一時間にとどめ、人をして静かに人生を思惟(しい)せしめ、反省せしめ、神に帰るの余裕を与えないものであるならば、われらの工学はまったく意味を見出すことはできない」、博士の考える工学とは福祉そのものなのです。

 1928年(昭和3年)、広井勇博士の告別式で生涯の友・内村鑑三は朗読しました。

「・・・広井君ありて明治大正の日本は清き正しきエンジニアを持ちました。日本はまだ全体に腐敗せりということは出来ません。(中略)君の工学は君自身を益せずして国家と社会と民衆を永久に益したのであります」そして「この質素なる家は、大築港を施されし大土木者の住家とは思われません」と。

 広井勇博士は、幾多の港湾に関わりながら、東京帝国大学工科大学教授として20年間勤めました。夏目漱石に優れた門下生が多かったように広井勇博士も多くの学生に薫陶(くんとう)を与え、国内外の現場へと送り出しました。「文明の基礎作りに努力すべき」という広井勇博士の教えもまた同様に後世の多くの技術者に受け継がれています。

 広井勇博士の胸像は、博士が他界した翌年の昭和4年、小樽市民や博士の影響を受けた多くの人々によって小樽公園に建立され、いまは港がよく見渡せるようにと北運河の運河公園に移設されました。銘板に履歴がこう記されています。

 「一八六二(文久二)年高知うまれ。札幌農学校第二期生。アメリカ、ドイツで橋梁工学・土木工学を学び、帰国後、札幌農学校教授。のち北海道の港湾改良と港湾工事に携わる。彼の指導による小樽築港第一期工事は、日本の近代港湾技術を確立し、世界に高く評価された。」

 

 

DVC00002.JPGDVC00001.JPG北海道工業大学(現~北海道科学大学)ホームページより

 

CIMG6621手宮からのびる北防波堤

CIMG7170全長約1300メートル

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CIMG7162漁船の通路

CIMG7151北防波堤側面の現況(湾内)

CIMG7159さ14トン~23トン

CIMG7177い城のように

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